日常と地続きの場所


日常と地続きの場所

大阪地方裁判所に傍聴に行かせていただきました。
まず、裁判所の建物の大きさと、その巨大な建物の中で毎日たくさんの裁判が行われているという事実に驚きました。
自分にとって「裁判所」は非日常の場所で、「裁判」も遠い誰かが関わっているもの、という感覚がありました。ですが実際の裁判を傍聴して、裁判所はいつ自分が被害者や加害者になってもおかしくない、ありふれた日常の延長上にある場所なのだということを強く実感しました。

裁判を2件傍聴

裁判を2件傍聴しました。
どちらの被告も「ふつうの人」で、知り合いにいてもおかしくない人たちでした。それぞれの罪状はまったく異なるもので、許せなかったり、同情してしまったりと別々の感想を持つような内容だったのですが、共通していたのは、よくある「日常」のワンシーンの中でほんの一歩踏み外してしまった結果、ふつうの人だった彼らが被告として裁かれているという状況でした。
ニュースでよく見る凶悪な犯罪などはほんの一部で、巨大な建物の中で毎日行われているたくさんの裁判の大半は、「ふつうの人」が日常を踏み外して起こしてしまった事件なのだと改めて思い知りました。
だから、いつ自分が被害者や加害者になってもおかしくない。
今まで当たり前と思っていた平穏な日常の不確かさについて考えさせられた一日でした。

コメント

板子一枚下は地獄、ということわざがあります。
船乗り稼業の危険性を表したことわざで、船の底板が一枚はがれるだけで、船は沈んでしまうことから、常に危険と隣り合わせの厳しい職業という意味ですが、人生も平和なうちは気付きませんがこれに近いと思います。
交通事故なんてまさにそうですし、病気に怪我に突然やってきますし犯罪行為なんかも何も知らないうちに巻き込まれてしまうこともあったり、経営なんかだと取引先が経営にいきずまって破産とかで被害を受けることも当然あります、もちろんその想定をして貸倒損失計上などしたりしなかったりですが、意識はしておかないといけないのもそう、コロナ禍もいわば1度起きた以上はもう想定内で考えないといけません。

「いつ自分が被害者や加害者になってもおかしくない。」
まさにそうだと思います、そのように感じるきっかけになりよかったと思います。

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