好きな言葉に臥薪嘗胆がある。
初めての社会人のときに好きな言葉と尊敬する人に、「臥薪嘗胆」と「孫正義」を挙げたのを覚えている。
「薪に臥して胆を嘗む」と訓読する。 あらゆる苦労や悲しみに耐え忍ぶこと。成功を期待して苦労に耐えること。
これが臥薪嘗胆の意味。いろんな屈辱感や劣等感を味わって生きてきているので、この臥薪嘗胆という言葉は染み付いている。
好きというよりも臥薪嘗胆ばかりを行ってきた人生を歩んでいるからだと感じる、輝く瞬間は一瞬で多くの場合臥薪嘗胆で生きている気がしてならない。
だからといって卑屈になっているわけでもないが、まだもっとやれる、120%やれているとは感じない、上には上がいる、と満足感に浸る余裕がないので、常に薪に臥しているように思う。
自分の未熟さや至らなさを真摯に受け止めると、臥薪嘗胆に至らないわけにはいかない。
経営者としての経験がないことも1つあるが、ひどい扱いを受けることにもなれてきた今、まだまだもっと臥薪嘗胆でこれからもいきたい。
ちょうど3ヶ月、第一Qという区切りを迎えたので改めてそのように感じる。