大学のときですがここ西天満にある大阪地方裁判所に傍聴に行ってました。
弁護士と検事が法廷で話をしているのを見たりしていたのですが、弁護人からの質問の際に、途中から傍聴すると背景がわからずどう見ても被告人は仕方ない、悪くない、と感じる話を聞くことがあります。
事情を知らずに聞いたことをそのまま感じながら思うので、感情が先に来るのですが、百聞は一見に如かず、本当の部分は全くわかりません。
あえて感情論だけを書くと、そのような刑事訴訟の際に明らかに被告人の家族なんだろう、という方が1人で座っていたりします。
傍聴席に入る入り口から最も奥のほうに座り、ハンカチを握り締めぐっと手に力を入れながら何かに耐えるように聞き入る姿。
声に出さなくてもわかります。
弁護士は被告人のために戦っているのか、家族のために戦っているのか、それはわかりません。
誰のために戦うのかは重要ではないのかもしれないですが、誰かのために戦えると考えることができるのは使命感が生じます。
クレアネットでいうと、クライアントの会社のためか、担当者さんとの話の中でその担当者さんのためか、その担当者さんの家族のためか、クライアントの会社の外注さんのためか、全てか。もたらす成果は波及していきます、そんな影響力があります。いい部分も、逆に悪い部分も。