「英語だけできる残念な人々」読了、英語さえできないのですが、と言うと悲しくなるので英語で書いている文字を読めるので「英語が出来る!」と勝手に豪語して生きていますが。確かに英語できても日本語できても仕事うまくいく保証なければ英語あればうまくいく、逆にうまくいかないはあくまで結果ですね、松下村塾で高杉晋作が学んだ頃から英語学習は日本人にとって重要な学問になったそうです。歴史はなので150年くらい、英会話や英語教室は存在しているそう。
まあお互い日本語ばっちり通じるけど意思疎通がうまくいかないとか、「夫は犬と思え」みたいな本もあるので、お互いの思っていることや感じていることがしっかり通じることは難しい、それは言語が同じでも、ということで納得しています。けど、全くできないのも困りますし、少なくとも日常会話でコミュニケーションができる程度の英語はあったほうがいいのだと、英語を通じて日本語とか言葉の大事さを感じることもあるので。
昨日のブログでネコのことを書きましたが、世界のネコを撮影して旅をしている人がいるそうで、ネコは基本日本語も英語も関係ないんでしょうね、そしてネコをかわいいと思うのも万国共通。言葉が細分化するということはそれだけ意味合いが多くなっている証拠、英語で自分のことを表わすのはI。日本だと私、アタシ、おいどん、拙者、小生、ボク、ワシなどなど。おいどん言った瞬間、西郷隆盛感発揮、というのと末尾にごわすごわすいうのも西郷隆盛感。言葉を使う以上、英語、とか日本語とか、ややこしいのですが、円滑なコミュニケーションをとりたいものです。そして時にはユーモアを。これが正にお互いOK、win-winの関係。
ついでに。
店は美味しい餃子を提供し、客はそれを美味しく食べるという、min-minの関係。
— 中澤 昌樹 (@hot_cott) 2014, 6月 17
珉珉上新庄駅前店、よく行ってました。