熊野古道はユネスコから世界遺産として認定を受けています、正式名称は、紀伊山地の霊場と参詣道。かつて熊野の地は歴史にも何度も現れている霊験の地。
例えば今でも高野山はお参りに来る人も多ければ、ちょっとした修行の場所として身と心を磨くために高野山に行くような場合もあるでしょうし、かつて昔の源平の争いの際には後白河法皇が数十回熊野詣に来た話もあります。
そして熊野自体が自然が多く、昔から豊富な雨量のために林業などが栄えていて木々が多い場所のため、そういったイメージがあります。
熊野といえばだいたい、感覚的なものでいわれるのが和歌山全体と奈良の南側、三重県の南側のほうのいわゆる「紀伊山脈」いわれる場所あたりです。ちなみに田辺市は市町村合併もあってこの熊野古道あたりはまさに参詣道の入り口となっています。
その熊野古道ですが最近ストリートビューで見れるようになりました。グーグルストリートビューはすごいですね。
都会の焦燥から離れて自然に触れるというのはやっぱり人間には必要なことです。
田舎などの自然のあるところに行くと本当にいいですね、ちょっと前ですが田舎に帰ったときに時間もあったのでこっちの熊野古道の滝尻王子のほうまで行ったのですが、自然のたっぷりある場所で少しぼんやりしてました。川が流れていて、太く大きな木が太陽の方向に伸びて葉っぱが所狭しと広がって木は上に上に伸びています。そして地面に近いところでは、わずかな木漏れ日から必死に光合成をし何とか生きようとしている木もあります。コンクリートの隙間から生えているタンポポのような。さらに大きな木にぐるんぐるんとつるを巻き付け大きな葉をつけて生きている植物もあります。
熊野古道は1000年前には後白河法皇を見てきたのですが、その熊野古道の植物たちは「生き抜くための生存競争を繰り広げている」わけです。これが自然のすごさです。「ニートなっても生きていけるし」、や、「ロハスな思考がいい。経済成長なんてもういらない」、まったりと生きていくことを否定しない、そのような生き方を全面肯定するような人も多いかもしれません。先人たちの遺産で暮らせればいいという若者もいるかもしれません。けれども、熊野古道のような大きな森の中で成長し、勝ち残っていかなければ未来はないのです。これは国単位でいえば日本、会社単位で言えば会社同士、そして個人でいえば個人のレベルで生存競争は必ずあるんです、自然の世界と同じく人間も同じ。
やっぱりみんなががんばらんとあかんのです。
そんな気持ちにたっぷりさせてエネルギーが補給される場所、それが熊野古道の素晴らしさです。
是非みなさん、熊野古道の際には特急くろしおで紀伊田辺駅下車して宿泊と観光を楽しんで満喫されてから、お楽しみください。