株式会社クレアネットの代表取締役ブログ

サッカー・フットサル

那智勝浦町生まれ 日本サッカーに貢献された中村 覚之助(なかむら かくのすけ)顕彰碑

中村覚之助(なかむら かくのすけ)顕彰碑は、紀勢本線の那智駅出てすぐにあります。向こう側に出るとブルービーチ那智です。

ついでに、日本サッカー協会のシンボルマークは、日奈子実三氏のデザインによるものであるが、その図案の発案者は、東京高等師範学校の内野台嶺氏を中心とする人たちであり、内野台嶺氏は覚之助の後輩にあたります

そんなわけで八咫烏を祀る熊野三山にはサッカー協会の偉い方々や、Jリーグのチーム監督やキャプテンがお参りによく来られています。
熊野本宮大社、熊野那智大社、熊野速玉大社3つをお参りされることも多いですし、どの神社でもサッカー祈願やヤタガラス勝利祈願のお守りなんかも置いておりますので、いわばサッカーファミリーにとっては聖地と言っても過言ではありません。
熊野那智大社途中の大門坂休憩所にはなでしこジャパンが世界一になったときの選手たちの足形があります、それだけ実はサッカーを応援しているわけですので、これはもう熊野三山はとりあえずサッカー語る前にお詣りが必須と言えるでしょう、必須と言いましょう。

初代天皇である神武天皇、「神武東征で神武天皇が熊野に来て、そこから大和の飛鳥をめざした際に道案内をしたのが、三本足のカラスである八咫烏だった」と言われおりまして、日本サッカー協会のシンボルマークは八咫烏になっています。

早稲田サッカー部がア式蹴球部というのは、サッカーはそもそもアソシエーションフットボールという名前だったのですが、association footballの「soc」からsoccerとなったそうです。長いものを省略するのはいつものことで山本さんを山ちゃん呼ぶのと一緒の感覚で、soccerと短くなりました。中学の体育の期末試験で出て正解したので間違いありません。

サッカーファミリーの諸兄は、那智勝浦に来た際に中村覚之助顕彰碑にもぜひ一礼を。かくのすけさんは28歳の若さで亡くなってしまうのですが、尽力されたサッカーはおじさんなっても楽しく遊んでいます、ありがとう。

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自己紹介

趣味はマラソン、サッカー。よく走り、よく蹴り、よく学び、よく仕事し、よく経営する。

常に明るく前向きに、夢を希望を抱いた経営を。

勤勉は喜びを生み、信用を生み、そして富を生む。人間の大切な徳。徳である限りこれを積むには不断の努力がいる。

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