「忠魂碑」はここ芳養八幡神社さんにもありました。忠魂碑は、明治日本が経験した二つの大きな戦の死者を天皇とその国家に魂を捧げた人として慰霊するために建てられているのですが、戦後、太平洋戦争の死者や不慮の事故や災害で亡くなった人の慰霊のために建てられた碑を現在は「慰霊碑」と呼び、「忠魂碑」と区別しています。藤巌神社の御神体であって、和歌山梅の栽培を始められた安藤直次公もお参りしたとかで、由緒正しいこの中芳養周辺の氏神様になります。
ちょうどこの前走った梅マラソン、この中芳養から上芳養周辺なのですが、確かにこのあたりの山々ではなかなかお米の水田つくりは厳しく、安藤直次公が梅つくりを推奨して農家を富むように働いたのもわかる地域です。
この安藤直次公の梅栽培は見事に当たったことで、田辺の梅は江戸でも有名になって、今では開花の時期になると、一目30万本と称されるほどに白い花が咲き乱れ、地域全体を梅の香が包んでいます。梅マラソンでも中芳養あたりに来ると梅の香りがしまして、走りながら風流な歌を詠もうと思ったものの、「息切れて」上の五句は出てくるものの、息切れすぎて後は何も出ず。