福島には昔から三天神あり、上の天神・中の天神・下の天神と言われていました。下の天神さん=しもてんさんはここからちょっと離れたところに今もおられます。
上の天神と称されていた、天満宮上之社は、太平洋戦争後に社殿の戦災に遭われた天満宮中之社(中の天神)を合祀して、福島天満宮と名を改めで今に至っています。
あとは福島の由来がこちらに紹介があります。実は菅公が名付け親だそうです。
当時の淀川の本流、今の堂島川のほとりにある福島の地は、大阪湾より海路を目指す際の風待ちの地でした。九州に向かう失意の旅路の道真公御一行は、丁重に迎えた徳次郎という者の心からのもてなしにとても喜ばれました。そこで感謝を表すものとして里人が織った布に自ら御姿を描き、与えられました。現在もこの御自画像が当社の御神体とされております。
また土地の名をお尋ねになり、土地の者が「鹿飢島(がきじま)」または「葭原島(あしはらじま)」と答えたところ、「鹿飢」は「餓鬼」に、「葭」は「悪し」に音が通じるため良くないとおっしゃられました。そして徳次郎の徳の字の縁から、土地の名を「福島」と改め、徳次郎には「福元」という姓を名乗るようにとおっしゃられたそうです。
菅公聖蹟二十五拝でもあります。戦前からある、京都から九州までの菅原道真公を祀る社のうち、特に関係の深い二十五か所を選んで巡拝を行う風習を「菅公聖蹟二十五拝」といいます。
菅公聖蹟二十五拝
札番 | 名称 | 住所 | 備考 |
1番 | 菅原院天満宮 | 京都府京都市上京区烏丸通下立売下ル堀松町406 | 菅原院邸址、道真生誕地 |
2番 | 錦天満宮 | 京都府京都市中京区心境極通四条上ル中之町537 | 道真の邸宅址 |
3番 | 菅大臣神社 | 京都府京都市下京区仏光寺通新町西入ル | 道真生誕地 |
4番 | 吉祥院天満宮 | 京都府京都市南区吉祥院政所町3 | 道真生誕地 |
5番 | 長岡天満宮 | 京都府長岡京市開田天神2丁目 | |
6番 | 与喜天満神社 | 奈良県桜井市初瀬町14 | 与喜天満宮 |
7番 | 威徳天満宮 | 奈良県吉野郡吉野町吉野山 | 金峯山寺の境内 |
8番 | 道明寺天満宮 | 大阪府藤井寺市道明寺1-16 | |
9番 | 佐太天神宮 | 大阪府守口市佐太中町7-16 | 佐太天満宮、佐太神社 |
10番 | 大阪天満宮 | 大阪府大阪市北区天神橋2-1 | 天満天神 |
11番 | 露天神社 | 大阪府大阪市曾根崎2-5 | お初天神、曽根崎心中 |
12番 | 福島天満宮 | 大阪府大阪市福島区福島2-8 | |
13番 | 長洲天満宮 | 兵庫県尼崎市長洲本通3-5 | |
14番 | 綱敷天満宮 | 兵庫県神戸市須磨区天神町2-1 | 須磨天神 |
15番 | 休天神社 | 兵庫県明石市大蔵天神町81 | 明石休天神 |
16番 | 曽根天満宮 | 兵庫県高砂市曽根町2286 | |
17番 | 大塩天満宮 | 兵庫県姫路市大塩町汐咲1-50 | 桧笠天神 |
18番 | 滝宮天満宮 | 香川県綾歌郡綾南町滝宮1314 | さぬき15社 |
19番 | 御袖天満宮 | 広島県尾道市長江1-11 | |
20番 | 厳島神社 天神社 | 広島県佐伯郡宮島町1-1 | 厳島神社の摂社 |
21番 | 防府天満宮 | 山口県防府市松崎町14 | 松崎天満宮 |
22番 | 綱敷天満宮 | 福岡県福岡市博多区綱場町5 | 綱敷天神、綱場天満宮 |
23番 | 太宰府天満宮 | 福岡県太宰府市太宰府4-7 | 菅原道真の廟所 |
24番 | 上宮天満宮 | 大阪府高槻市天神町1-15 | 太宰府天満宮に次いで日本で2番目に古い天満宮 |
25番 | 北野天満宮 | 京都府京都市上京区御前通今出川上ル馬喰町 |