修羅場が人生の肥やしになる、なんて話はよく聞きますが、明治生まれで電力王の名前を持つ、松永安左エ門さんがこのような言葉を言ってます。
松永安左エ門さんは、戦後、国策会社の日本発送電の1社独占を打ち破り、日本の電力事業を分割民営化したことで有名な方。
その松永さんの言葉でこのような言葉があります。
『実業人が実業人として完成するためには、3つの段階を通らないといけない。第一は闘病生活、第二は長い浪人生活、第三は長い投獄生活である。と3つを経験するのは大変だが、このうち1つくらいは通らないと実業人のはしくれにはならない』
これには激しく同意。闘病生活についてはソフトバンクの孫さんは自伝にも20代後半で数年にわたる闘病生活があったそうですし、松永さんは戦争のときなどに一度隠居生活を行ってます。内面の中をしっかり見つめていけば、何で生きるのか、何をしたいのか、何によって生かされるのかなど真摯に見つめることができます。スマホもパソコンもない環境で情報を遮断した状態がないと、周囲に流されていきますし、何かを得ないと想いや信念を表現する情熱が枯渇してきます。
闘病と投獄をしたいわけではないですが、私自身は長い浪人生活があったので、「仕事に飢えている状態」がたくさんあったわけです。仕事をしたい、『カイシャ』というものに行き、赤提灯の光る居酒屋で熱燗を飲んでみたい、など遠い世界の憧れが仕事にあったわけです。
スポンジが水を吸収するような、寝食を忘れて没頭するような、そんな仕事に飢えているような状態だったり、そのタイミングが仕事にないと実業人にはないといけない、と松永翁は言っていると思います。
仕事したいと思えるような状態があるからこそ、誰にも負けない狂気な情熱が溢れるのだというわけで。能力なくてもこの溢れんばかりの情熱が何よりも大事かと。実業人のはしくれにもまだ至ってもないですが、26歳までの浪人生活を振り返り思い出すと、周りの就職をして話す友人や周囲の目などあらゆるものが自分への重圧にもなりましたし、それによって自ら何かできないと大変なことになるという危機感にもつながったのだと感じています。