ゼミの師匠がいつの間にか喜寿御祝になりました。
お祝いで集まると、先輩も後輩も法曹とか教授とか士業の先生とか、裁判所書記官とかまあいろんな立派な職業に就かれていて自分のような異色キャラクターはまあいないわけでして、だからこそ特徴も出ますしアカデミックな環境にどっぷり浸かって学問に触れることができたのはよかったなと思います。朝から9時まで図書館で勉強して、大学亭で昼ごはんの野菜炒め定食食べて過ごしていた学生生活や卒業後の浪人生活など、今思えば全部が自分の血肉化になっています。
大学時代はストイックに真面目だったので、刑法ゼミがメインだけど民事訴訟法のゼミも聴講生として参加するということを、ゼミ仲間と一緒にしていたり、書かなくてもいい卒論を書いたり今思えば駄文オブ駄文だったのですが、大学生は大学生のうちにしかできないことに必死でして、そんなことが今に繋がっているとは全く思ってもみませんでした。
26歳最後にすると決めた決断も自分の判断軸になっていますし、26歳と決めたのも同じ26歳で会社を作って上場してる、サイバーエージェント藤田さんの本「ジャパニーズドリーム」という本を読んで、自分のような屑のような男は何なんだと恥ずかしくなったところから26歳を最後にしたのですが、これがよかったのかどうかはわからないのですが後悔は全くありません。紆余曲折経ていますし大人にもなったので、人は人自分は自分でやれますがゼミ生の中では不肖なので実に居心地がいいものです。落ちこぼれの下っ端を最初に感じると、周囲に迷惑かけないようにしようとか心が謙虚になりますし、話がさっぱりわかってなくてもなんか話しを聞くだけで偉くなったような錯覚を感じることもできますので。
努力の量や方向が違うのですけど、やっぱり話聞くとリスペクトしかありませんし、このゼミに来る人はやっぱりちょっと鋭さが違うんだろうと参加するたびに感じます。有り難いことに教授とか士業の先生とか、裁判所書記官とかの法曹の世界、アカデミックで知的な世界であって、そういう場所でいたことから今の世界にはばたいたことで、結局評判が回っていたりもしますし然るべき場所やキャリアに落ち着いてきてるのだと思っています。「あいつ試験に何年も落ち続けてやがる」というのは、いい意味で言えば泥水吸いまくって這い上がってきた超絶叩き上げ野郎でもあるので。
もう年齢も1周り2周り以上先輩から言わせると、そういう泥水を吸うべき年齢でしっかり吸ってるのはええわ、本当にお前はええわ、と言われたりしたことあるのですが、何となくだけど少しわかります。
還暦近くなるとなかなか自ら泥水吸いに行けませんし、自己破産でぶっ飛ぶくらいのリスクも普通抱えないので、吸えないんだろうなあと。自分がこんなんなので若いうちはあまり計算せずに、何でも情熱的に積極的に全力でやるのが必ず人間としての基礎基本ができるように思います、貯金なんて大してできないし、コスパとか無視して完全燃焼がいいなと。
不肖=落ちこぼれの馬鹿野郎 でも末端に席があるので、先生への敬意とこれからもご健康を願って。