1890年(明治23年)、9月16日、大島樫野崎の沖合でトルコ軍艦エルトゥールル号が嵐の中遭難し、乗組員656名のうち587名が還らぬ人となりました。異国の海に散った将士たちの霊を慰めるために建設されたこの慰霊碑では、今も5年ごとに追悼式典が行われています。また串本の姉妹都市であるトルコのメルシン市にも同じ碑が建てられています。
そんなわけでトルコとの友情がありまして、国境を越えた真の友情を描く感動作として『海難1890』をおススメします。
和歌山県民ならだれもが知っているエルトゥールル号事件、その後実はまだ話があったのです。
エルトゥールル号の奇跡実話「海難1890」が第39回日本アカデミー賞で10部門を受賞作品、日本とトルコ、9000km離れた両国の人々が、人が人を想う気持ちによって叶えた奇跡と希望。それこそが言葉や文化の違いを超えた友情と絆を生み出すことを物語る、すべての人に観てほしい感動の超大作です。
串本を大島を訪問する際にはくろしおでも飛行機でも時間があるので、ぜひとも見ていただきたい作品です。
イラン・イラク戦争下の1985年(昭和60年) 3月17日、 イラクのフセイン大統領が突如「48時間の猶予期限以降はイラン上空を飛ぶ航空機は民間機であっても無差別に攻撃する。」との声明を発表しました。 イラン在住の外国人は一斉に出国。 日本人も出国を試みますが、 各国の航空会社が自国民を優先して搭乗させていたため、日本人はチケットを持っていても飛行機に乗ることができませんでした。 日本からの救援機も来ず、3月19日、215名の日本人が絶望的な気持ちでテヘランのメヘラバード空港に取り残されていたところ、2機のトルコ航空機が降り立ち、タイムリミット直前で日本人全員を救出してくれました。なぜトルコが危険を冒して日本人を救出してくれたのか、 日本政府も日本のマスコミも全く分からなかったのですが、 後日、駐日トルコ大使から次のようなコメントが発表されました。 「私たちは、エルトゥールル号の借りを返しただけです。」
串本町サイトより
https://www.town.kushimoto.wakayama.jp/kanko/kainan1890/
恩返し、真心、深い絆、国も関係ない姿、串本大島の方々のすばらしさ。
県民なのに実はようやく、このエルトゥールル号海難事故石碑に来たのは初めて、まだまだ青過ぎるので反省です。