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闘鶏神社

闘鶏神社の田辺祭御朱印オリジナルは、笠鉾イラスト付き

田辺祭御朱印オリジナル、笠鉾入ってて超かっこいい!

説明書きが入ってました。

御創建

社伝によれば人皇十九代允恭天皇己未八年(四一九) 九月、熊野権現 (現熊野本宮大社) 此の地に勧請し、田辺の宮と称した。
白河法皇の御代(一一〇〇年頃)、熊野三所権現を此の地に勧請し、三山御参詣に替える。 近衛院久安三年己(一一四七) 別当湛快の時新たに天照皇大神以下十一神を勧請し 新熊野権現と称す。

社号

闘鶏神社の社号の由来は、源平合戦の際に源氏につくか平氏につくか思案した別当湛増が、神前で赤(平氏)と白(源氏)の鶏を合わせたところ赤鶏が白鶏を見て一番も闘わず逃げたので源氏に味方したと言う故事により、新熊野鶏合大権現の呼称が生れ、明治維新の神仏分離令により闘鶏神社と改称され現在に至っている。

例大祭

田辺祭 七月廿四日(宵宮)・廿五日(本祭) 紀州三大祭の一つ 県無形文化財
例大祭は暁の祭典と呼ばれ、廿五日午前四時に斎行され、全国に例を見ない祭典時刻は 社名に起因するものと思われる。
又、笠鉾(山車) 巡行は豪華絢爛で多くの人で賑う。

藤巖公

安藤直次公(とうがんこうあんどうなおつぐ) 紀州徳川初代頼宣公の付家老として田辺 周辺を領した。大変厳しい方であったといい、頼宣公に対しても厳しく接したという。 頼宣公が晩年に今の自分があるのは直次のお蔭と申されたという。安藤領(現 みなべ、上富田と、田辺・白浜・印南の一部)にて農民の貧困対策として梅の栽培を奨励された事が、現在の日本一の梅の産地につながっている。

世界遺産 新熊野鶏合大権現(いまくまのとりあわせだいごんげん)

鬪雞神社 国指定史跡 南方曼荼羅名勝地

証誠殿証誠殿 伊邪那美命(いざなみのみこと)
西殿西殿 事解之男命(ことさかのおのみこと) 速玉之男命(はやたまのおのみこと)
上殿上殿 天照皇大神(あまてらすすめおおかみ) 伊邪那岐命(いざなぎのみこと) 宇賀御魂命(うかのみたまのみこと)
中殿中殿 迩々杵命(ににぎのもこと) 火々出見命(ほほでみのみこと) 天乃忍穂耳命(あめのおしほみみのみこと) 鵜草葺不合命(うがやふきあえずのみこと)
下殿下殿 火産霊命(ほむすびのみこと) 稚産霊命(わくむすびのみこと) 弥都波能売命(みずはのめのみこと) 合大埴山比売命(ほにやまひめのみこと)
八百万殿八百万殿 手力男命(たじからのおのみこと) 八百万神(やおよろずのかみ)
下殿下殿 火産霊命(ほむすびのみこと) 稚産霊命(わくむすびのみこと) 弥都波能売命(みずはのめのみこと) 合大埴山比売命(ほにやまひめのみこと)
藤巖神社 (摂社)田辺初代領主 安藤直次公
雞姫弁才天(末社)雞姫弁才天(末社) 市杵島姫命
玉置神社(末社)玉置神社(末社)手置帆負命
十日戎神社(末社)十日戎神社(末社) 戎大黒二神
弁慶社(末社)弁慶社(末社) 弁慶公

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自己紹介

趣味はマラソン、サッカー。よく走り、よく蹴り、よく学び、よく仕事し、よく経営する。

常に明るく前向きに、夢を希望を抱いた経営を。

勤勉は喜びを生み、信用を生み、そして富を生む。人間の大切な徳。徳である限りこれを積むには不断の努力がいる。

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