いろいろ整理していると富士山登山の写真が出てきました。
たしか雨天のために9合目あたりで中止になっちゃって、山頂まで行けないけど途中からご来光が見えまして、身も心も浄化され美しい清らかになったのを覚えています。自分が生きる目的は世のため人のために尽くすことだと、自分が命ある限り尽くし、死んだときにこそ自分の価値がようやくわかるものなので生ある今を一所懸命に生きるのだと、改めて創業の想いや自分の想いを再確認いたしました。
ただ富士山ご来光の素晴らしさも、下界に降り疲れた身体を風呂で癒し麦酒などで整えるとあっという間に堕落するもので、静岡の美味しい飯を食べたいなとか、お土産には地ビールとか、まあ俗世にまみれて元の木阿弥になって今に至るのですが、その瞬間でも身も心も浄化することはいいことだと思います。
この富士山ご来光登山、あれから8年も経つのでいろんな状況も経営も変わってきているのですが、「経営者の器以上に会社は大きくならない」は間違いないと自覚して思います。現場で泥水すすって生きながらではあるものの知見も増え、取引先も増えつつ、失敗も成功も重ねて試行錯誤を繰り返しているのでいわゆる年輪経営というものが進んでいると感じています。複利効果ともいいますけど、短期的な高成長で一気に進んで飛んでしまった会社もありますし、当時から考えると自分自身も大きく成長しているのがわかります。
善悪の善し悪しというか、いろんな器自体がやっぱり経営長年すると変化するもので、「経営者の器以上に会社は大きくならない」は正しいと感じています。
当時から経営者の本を読んだり、盛和塾なんかでも学ぶんですがそのへんの知識と、経験とミスと反省をプラスした経験値を入れるとやはり変化を感じるわけでして。富士山登山は日本人ならぜひ一度は!マウントフジ3776帽子は現地でしか売っていませんので。
経営者の器とか言いますけど人間の器と言いかえてもいいかと思います。最初若いときなんてみんな余裕がないから自分のことだけに精一杯でがんばるのですが、会社などの組織でいえば2年3年も経てば後輩の面倒が始まったりしますし、自分自身でも結婚や家族が増えたり介護があったりなどすれば自分以外のことに考えも時間も取られるようになりますし、仕事でも上司になれば自分だけのことをやって終わりとかでないのが当たり前になってくるわけで、自分がうまくいくよりも全体がうまくいくとかのほうが嬉しくなるものが当たり前であって。そしてそういった自分よりも他者のことを考える利他の精神がないと、組織も家庭も回らなくなるのが当たり前ですし、組織が強化されていくに当たってや新人が成長するにはそのような利他の精神が多い上司でないと成長しません。
経営者の器、は自分以外のよりどれだけの人を幸せにできるのか、という思考とあっているかと思います。
お金を追うな信用を追え、というのも同義であって多くの人を幸せにして信用を受ければ自ずから幸せにもなります。
かっこいい言葉でない実際で言えば、自分だけでヒーヒーだったのに少しだけ力ができて、家族ができて、社員が増えて、家族が増えて、社員も取引先も増えて、自分だけ儲かればいいというのがあいつもこいつもあいつもこいつも幸せにしてやらんとあかん精神でやってたらどんどん拡張されていく、みたいなところが強くあったりします。あと営業でも経営でも採用でも人を巻き込むとか系のお仕事はこのような精神ないとあかんでしょうし、何よりも自分もしっかり満たしていないと無理。富士山登れる体力と、富士山登る途中に人助けできる体力と気合、翌日からぴんぴん仕事するパワー、全部大事。