以下は引用です。
台場跡とは田辺城二の丸に南接した海岸に、幕末、黒船来襲に備えて築かれた砲台。安政元年(一八五四)七月から約二ヵ年の短時日間に、田辺安藤氏家臣柏木兵衛(淡水)が中心となって施工。
闘鶏神社にある石碑ですが相当古い感がでているこの、田辺安藤氏家臣・柏木淡水さん。
口熊野を代表する、新熊野鶏合権現と呼ばれていた闘鶏神社、田辺祭で神社周辺の屋台を楽しんだり昔はお化け屋敷もあった記憶なのですが、大人になって今になって気づくことも多々あります。熊野別当湛増が社前で紅白の鶏を7回闘わせて、全て白鶏が買ったので源氏に味方して屋島の戦いで源氏を授けたことから、闘鶏神社になったという話です。源平の戦いは1180年~1185年なので850年近くも前の話です。