岩口池に上がっていく道のちょっと手前にある、下秋津の豊秋津神社さんに初めてのおまいり。
50段くらいのハードな階段あって、登りきると大きい馬があっていろいろ見ていると、梅干で有名な中田食品さん創業の中田源次郎さんが出てきました。
明治30年(西暦1897年)、紀伊田辺の山合の秋津野と呼ばれる農村地で、一人の若者が商売を始めました。若者の名は中田源次郎。下秋津村の農家の次男で、周辺の農家や地域の人々に役立つことを志して中田商店を起業しました。
https://www.nakatafoods.co.jp/about/philosophy/ から引用。
大きな馬も中田源次郎さん寄贈とのことで、今の中田食品の基を作られた方でして梅干といえば中田食品さん有名ですから、地域でも立派な方だったようです。
ちなみに中田食品さんは村田兆次選手、マサカリ投法で有名だったロッテの投手をCMに使っていたのを覚えていますので、物心ついたときには大きな会社さんになっていました。
秋津野ガルテンあたりは上秋津、このあたりは下秋津でして、中田源次郎さんは秋津の人として有名で偉大な方、であったりします。何でもそうですがもう50年や100年経ってるのに今もなお賞賛されるというのはすごいなと思うわけです。ダム工事なんか作るときに「自分らの世代よりも下の子供や孫の世代のために今やらんとあかん」みたいな発想でダム工事だったりとか、昔でいえば武田信玄の信玄堤なんかも作られたそうですけど、先見の明と後世のためにやるのだという思想もすばらしいと思ったりします。
中田食品さんなんかは田辺でも大きな会社さんなので、商品がいっぱい売れると雇用が生まれて仕入れ業者なども潤うわけで、租税も発生しみんなにとっていい結果になるわけです。
そんなことを中田源次郎さん、馬を見ながらなんとなく思いました。