立場が変わらないとわからないことはたくさんある中の1つ。
「若いときの苦労は買ってでもしろ」とかいう年配の人からの若い人へのアドバイスがあるのですが、まあ普通は「あんたの時代はよかったし、あんたは苦労も何もしてないからええわなあ」と懐疑的に聞いてしまうのがステレオタイプかもしれません。自分の場合はいつも年配ばかり、小さいときも今になっても年配の人から言われることが多い立場だったりするので、そうだそうだ苦労はしたほうがええぞ、と思いながら聞いていたりするのですけど。
実際に人生も曲がり角の折り返し地点を過ぎた自覚ある年齢にくると、試験勉強で就職も先延ばし、人より遅いスタートだったぶん何とか長く仕事をして遅れた分を取り返し、会社起業後もまあ苦い思い出に恨み辛みあることも多々あったり、土下座強要されたりヤクザのようなチンピラが会社に来たり、サンドウィッチマン伊達そっくりな人に夜10時まで叱られたりなど不思議な思い出があるのですけど、「活きた知識や経験は苦労の中でしか気付けない」みたいなことに気付きます。本気で一所懸命やって説得したのにサンドウィッチマン伊達は聞く耳まったく持たない、それどころか揚げ足とってオウム返しで脅すだけ、みたいな経験は座学では絶対に身につきません。
そんなこと多々あるので、その場その場で「本気100%でやったけどコテンパンにやられた」経験は必ず活きるんです。
経験経ないと絶対にわからないですし、苦労を買うことはないんですけど苦労が来たら買ってやろう精神は後々活きてきます、みたいなことがあります。これ、立場が変わらないとわからないことはたくさんある中の1つ。
そして。
よく企業が施設に支援したり、子供たちにプレゼントあげたりするんですけど、これ子供たちがプレゼントもらって喜ぶことを想定してるかもしれないのですけど、実際には喜んでる子供の姿を見た親御さんだったり先生方だったり、その日を待ち遠しくして朝からワクワクしている子供の姿だったり、周辺や派生していくものが嬉しかったりするんです。特に施設なんかは建築時に住民からの反対なんかもあったりすると、なお、園長先生やオーナー側の気持ちもわかるので、受け入れてもらえてる充足感のようもあったりするんです。
取引先さんが納税や雇用以外の社会貢献として、施設へのクリスマスプレゼント。企業経営者だから、社会は公器なりという言葉が身に染みますし、こういった活動は心から賞賛します。金を稼ぐ、仕事をする、一所懸命頑張る、全て尊いですが、こういった社会貢献できることは経営者だけの特権でもあります。土日返上で深夜も仕事できる秘めたパワーには貧乏が嫌だとかいう力もあるんですが、稼いだ金を少しでもわかりやすい形で社会に貢献したい、というのも短期的には秘めた大きな力になります。