田辺の第一小学校の前には大きな南方熊楠さん絵画があります、粘菌学の天才だった熊楠さん。
闘鶏神社の裏山を遊び場にしながら研究をしてた話があり、奥様は闘鶏神社の当時宮司だった田村さんの娘さん、今も闘鶏神社の裏山のクラガリ山は山そのものがご神体と教えられているので、熊楠さんのように山に入って遊ぶことはしませんが、田辺市の有名人として描かれています。
山自体がご神体という話ですが、昔も今も別に違和感なくそう思ってきてますけど、神社や神道というものの教えは普通に生活にも染み込んでいてこれはこれで、また日本人らしい1つなのだと思います。
ご飯を食べる前に、(命を)いただきます、を手を合わす習慣なんかも命を頂き食べれる感謝を表しますが、山そのものがご神体というように、万物に命が宿り感謝するという精神はまさに日本独特のものな感じがしています。ご飯に感謝、山に感謝、仕事に感謝、顧客に感謝、家族に感謝。
大阪には大阪天満宮さんをはじめ、住吉大社、磐船神社、隣なので京都には伏見稲荷大社に石清水八幡宮もあって、お伊勢さんはまあ言うまでもなくですが、伊邪那美神(イザナミ)イザナギになどの古事記話になると由来もまた違うわけで複雑ではあるのですけど、正月は神社に御参りするとか八百万の神なども含め生活習慣と日々の考えに色濃く文化になっていることは本当に素晴らしいことだと、思います。
有名神社でなくても、地域の祭りの拠所になっていたりしますし、何よりこれは海外旅行などをした際に神社のような文化を感じる建物などに行くと、日本の素晴らしさを改めて感じるのです。大きいとか広いとか場所のことで感じるのではなく、小さな場所でもしっかり管理されて神様を奉ってるんだなと感じる日本、そうではない海外の国々。神を信じなさいという会社でないですけれども、神道や神社の役割というのはすごく大きいのではと、そんなことを田辺でいろいろ歴史知ったり文化を学んだりすると感じるものです。