フルタセコイヤチョコレートがダイソーに3つ100円で売ってまして、セコイヤチョコってもう30年くらい前からずっとあるお菓子でなかなか懐かしい気持ちになりました。
青春時代も学生時代も苦学生時代も新社会人時代も、普通にセコイヤチョコはこの形のままであって普通に企業努力なんかがすごいと感じますし、久しぶりに食べるとまた美味でした。もう受験シーズン真っ只中だったりするのでいろいろと世間なんかも「キットカット2つで、キット勝つ」みたいな応援お菓子多いのですけど、苦学生を人より長くやったものとしては苦は楽の種、楽は苦の種、と昔の人はうまく言うたと思います。
全員にあてはまってるとかでないけど、学問頑張らなかったとか学歴ない人は学生の本分である勉強する期間に、まあまあ遊んでいたわけであって「楽は苦の種」「楽しみの前借り」したものだったということであって、後で苦労するのはまた当たり前というのは感じます。学生時代にしっかり青春を謳歌してすごしたようなモラトリアム時代を愉しんだ場合にはその分苦労することも多いはずなので、就職先であったり社会に対して文句が出たりもするのでしょうけど。苦学生期間が長かったのと、この愉しいモラトリアム時代を過ごしてないので偉くいえないんですけど、危機意識とか生存能力とかなにくそ精神とか、自分の道は自分で作らんとあかん精神からすれば「苦労するの当たり前だろ!」と思うんです。
大学時代の卒業旅行なんかでバイクアメリカ横断したかったですし、モンゴルをひた走るなどもしたかったのですが、それも今は昔の話です。
受験勉強で苦労したら苦労した分、必ずいいこともあれば人生の糧になることは間違いありません。全ての受験生とサポートする親御さんや先生などに、経験から本気でそう伝えたいと思っています。