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読書感想文

プロイセン皇孫日本巡覧と吹田遊猟事件

吹田遊猟事件=釈迦ヶ池遊猟事件とも呼ぶそうです。大阪府島下郡小路村(現・大阪府吹田市岸部北)

【引用】神社の裏にある釈迦ヶ池はカモの猟場であったが、網を使った猟のみが許され、銃の使用は禁止されていた。明治13年(1880年)来日中だったプロイセン王子ハインリヒがお忍びでこの地にカモ猟に来て、この掟を知らずカモを銃で撃ったため、附近の住民に殴られる事件が起きた。 この問題は日本とドイツの外交問題に発展する。ヨーロッパの強国であったドイツに対し、明治維新から間もなく、いまだ国力も未熟な当時の日本政府は全面的に低姿勢に徹し、事件を処理した警察官8名を免職、さらに事件関係者に謝罪させることで解決を図った。ドイツ側への謝罪式は本神社の境内で行われ、関係者一同を連れ、礼服に身を固めた吹田村の村長が、王子の前で謝罪文を読み上げるというものであった。参道には見物人が人だかりを作ったという。さらに政府は、事件処理の詳細が洩れて世論から軟弱外交の非難を受けるのを恐れ、報道統制で事件の顛末を徹底的に隠した。この件を記事にしようとしたある新聞記者は逮捕され、禁固刑にされた。約10年後の大津事件の前例とも言える、明治前期の日本外交史の一幕であった。

ついでにプロイセンさんはwikiにありました。

【引用】ハインリヒ・フォン・プロイセン(ドイツ語: Heinrich von Preußen, 1862年8月14日 – 1929年4月20日)は、プロイセン及びドイツの王族、海軍軍人。全名はアルベルト・ヴィルヘルム・ハインリヒ(Albert Wilhelm Heinrich)だが、もっぱらハインリヒと呼ばれる。ヴィルヘルム1世 (ドイツ皇帝)の孫であり、フリードリヒ3世の次男で、ヴィルヘルム2世の弟。ドイツ帝国海軍で司令官として軍歴を積み、最終的には海軍元帥に任じられた。

内容は法学部なら誰しもが通る治外法権の話、なのですが、師匠山中先生が執筆されたのですが謹呈うけました。謹呈・・。
先生本当にお元気でまだまだ執筆活動もされてて、不肖私ごときにも贈呈してて古稀過ぎたのに活動的なパワーに頭が下がります、不肖すぎるので内容はさておいてですが、釈迦ヶ池は吹田の佐井寺中学校の裏辺りのところにあります。

不肖すぎる自分が言うのもなんなのですけど、優れた師には優れた弟子もいまして20代前半で最高峰のアカデミックな分野で必死に取り組めたことは、今のこの仕事でもしっかりと活きていてと思っています。
先生ゼミでも実にレベルの高い問題意識や課題意識で教えてくれて、よくこんな不肖野郎が破門になってないなとしみじみ思って感じているわけですが、来る者拒まずで受け入れてもらえた縁が今も続いていてありがたく感じております。仰げば尊しわが師の恩、感想を述べて御礼伝えたいのですが不肖なので、和菓子で恩を返します。わが師だけに。

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自己紹介

趣味はマラソン、サッカー。よく走り、よく蹴り、よく学び、よく仕事し、よく経営する。

常に明るく前向きに、夢を希望を抱いた経営を。

勤勉は喜びを生み、信用を生み、そして富を生む。人間の大切な徳。徳である限りこれを積むには不断の努力がいる。

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