栴檀は二葉より芳し =
白壇は発芽の頃から早くも香気があるように、大成する人物は、幼いときから人並みはずれて優れたところがあること、の意味です。
仕事していると様々な立場の方にお会いしますし、立派な方や優れた方、優れた雰囲気だけを醸し出す詐欺っぽい方など痛い目にあった経験も踏まえれば多々たくさんのことを経験してわかることがあったりします。その中でもこの言葉、栴檀は二葉より芳し、ですがこんな言葉が出るくらいなのでそういったものなのでしょうとは思ったりします。特に純粋な力や運動や頭の部分になると、3歳で本当に上手な童謡を歌ってる子供のCM見ると上手だなあと心から感心しますし、暗唱で論語為政第二をすらすら読んでいる子供見ても、この子達は明らかに秀でているとか思うわけです。
そうすると、栴檀は二葉より芳し、だなあとかもやっぱり思います。自分の経験を振り返ってもまあそんなものだったりしますし。
スポーツなんかは明確に出ますので、下手だとサッカーだとパスくれないですし、どんなうまくても選抜なんかにいくと下手な人に成り下がってパスをもらえなくなるし、部活サッカーなんかではまだ努力して這い上がる気があればそれでいいんですけど、体育のサッカーなんかでは下手だと空気感になるのでそこに選手が存在しない感じになりますし、致し方ないのですが難しいことだったりします。
栴檀は二葉より芳し、わかるのですが、私含めた凡人としては天才や秀才や一部の上位層を目指さず、総合力や全体バランスとして生きていくのが大事ですし、中長期的なスパンで物事を考慮して自分の人生をしっかり見つめなおして取捨選択するのが大事だと思っています。言い方変えれば「栴檀でないから雑草のようにたくましく生きる」わけで、これが性に合ってるような気がします。
昔からずっと読み続けられている「いないいないばあ」のプレゼント版を買うと、パッケージ包装がいないいないばあバージョンでした、栴檀でないので、人の心に寄り添って思考するようなことでしかうまくできないのですが、「いないいないばあ」はもう700万冊売れている50年以上のベストセラー本、親から子へ、子から孫へと読み継がれるということはすばらしいことです。パッケージ包装みただけで、松谷みよ子さんのいないいないばあってわかるのは、自分が読み聞かせを受けてきたかもしれません。栴檀でなくてもいいんです。