昔の話しですが、司法試験受けてる時とか仕事したいのに仕事できなくて人生の大事な時間を無駄に浪費してしまい、なりたい人になれないというくすぶった時間が多くて、今考えれば若気の至りもあって悶々としていたので本当にこの期間があってよかったと思います。仕事してていろんなことを気付くのですが、なりたい自分になるという明るい感じよりも、もっと暗くてコンプレックスもあってあの時期には戻りたくないとか、田舎は嫌なのでもっとキラキラしたいとか、そんな部分のほうが根っこがしっかりして土台が安定しているように思います。
孫正義さんの本なんかを読むとそのエピソードがすごくて、無番地の土地でトタン屋根の家をかまえ、ヤミ焼酎作りや養豚によって生計を立てていたみたいな話があるのですが、強さの土台が違います。
「私の戸籍は佐賀県鳥栖市五軒道路無番地と書いてあります。不法住居ですから」
ソフトバンク孫正義氏、自身の生い立ちや韓国籍の祖母について語ったスピーチ | ログミー[o_O] http://t.co/l7s4FKqim6 pic.twitter.com/7xQ6Reuj8I— ログミーBiz (@logmijp) March 11, 2015
全文ぜひ読んでみてください。血を吐きそうになるまでやる理由はいろんなところにあるのでしょうけど、やっぱり孫さんなんかを見るとスケールのルーツが違うと感じるところはあります。
司法試験受からない期間のような悶々としたものが、そのときに受けた屈辱みたいなものは、度量の大きさになっているような気もします。合格する同期、差がついてしまう葛藤、予備校で年下と思ってたら1回で現役合格する人、毎年たまるお守りと五角鉛筆、友達の結婚などなど。劣等感もたくさん受けたのもこれもこれでいいことだと、今なら感じます。
ときどきお会いする、いいお家柄のいい環境のいいご家庭の男性で、いい職に就かれているような方は「仕事あって忙しいのは有難いこと」なんて感覚には一生ならないような気がしますし、平日18時で土日休んでというのは構わないのですが、そういう仕事の向き合い方してこなくてがむしゃらでやってこれたので、無職野郎、浪人野郎も悪くないと思います。田舎でなんとなく不満を抱えることも同じです。