近くの榎木神社に貼ってありました、
「神が差し伸べたくなるぐらいにまでがんばれ」という言葉です。稲盛塾長は盛和塾でも「誰にも負けない努力」を強調して言われていました、自分なりの努力、自分の中では努力、そんなものは努力でも何でもなく、誰にも負けないレベルでの努力を行うことが経営者にとっては大事、という言葉です。その言葉に匹敵するくらいの意味、「神が差し伸べたくなるぐらいにまでがんばれ」です。努力を重ねれば必ず誰かが見ていますしついてきてくれますし、たとえ結果が出なくてもその努力は必ず自分の人生にとって変えることのできない輝かしいものになります。
学生時代の部活なんて正にこれで、口ばかりでなく実際に身体を使い夏の暑い日も夏休みの二部練も、雨の日の「はいシューズに履き替えて」からの体力トレーニングも全部ひっくるめて努力をしたなという思い出なので、そのときに一緒に努力した仲間というのはやっぱり簡単には手に入らないものだったりします。涼しい場所での適当なバイト仲間とはまた違うんです、ハードで追い込まれて厳しい中を潜り抜けてきたからこそ、ようやく生まれる仲間意識だったり連帯感だったり、というのは多々あるので。
今の環境や仕事などが厳しいとはまったく思っていませんが、ぬるま湯ばかりだとこれはこれで勿体ないなあと思います。
涼しい場所での適当なバイト仲間、レベルだとやっぱり連帯感は生まれない、ハードワークの中で耐えて残ってきたからこその連帯感、そんなものが大事なのではないかと思う派です。
「神が差し伸べたくなるぐらいにまでがんばれ」 こんな努力を重ねる集団、これが目指す集団像と思います。