懐かしい吹田市周辺の佐竹台や山田とか亥の子谷とか周辺でお仕事してきましたが、20代半ばの司法試験浪人で何度か試験落ちて大学も卒業してるときには、吹田市の小中学校で警備員のバイトをしていて、梅田にあるLECからバイクで20分くらい飛ばして山田第五小学校とか佐竹台小学校とか青山台小学校とか千里第三小学校とか吹田第三中学校とかいろんなところで宿直の警備員バイトしてたので、ほんと吹田は全地域懐かしく切なくなります。
社会人になっている友人も多く付き合いは減りますし、試験は落ちるし模試の成績は上がらなかったりなど将来の不安を考えると焦燥感もありますし絶望感もありましたが、今思うととにかく全力投球だったので「人生山あり谷あり」くらいにしか思っておらず、25歳で20代折り返し地点に来てようやく「潮時」を考えるようになったものでした。結局その少し後でやめることになったのですが、よく宿直していた「吹田第三中学校」、「青山台小学校」「吹田第三小学校」「山田第五小学校」「佐井寺小学校」の先生方や用務員さんなどには感謝の気持ちしかないですし、試験頑張ってるんですといえば差し入れしてくれたりねぎらってくれたりなど、みなさん優しかったのと「立つ鳥後を濁さず」の精神のとおり、少しでも学校の方々や後の警備員さんに役立つよう、とか意識したものでしたので。
今になって気付くのですが、子供たちもなついてくれたりする子もいて、吹田の子供たちはいい子で場所も家庭で住むにはめちゃくちゃ住環境いいじゃないかと今の今になって気付きました。山田になると通勤がちょっと面倒とかあるのでしょうけど、自転車で山田高校でも行って関大でも行けばもう吹田から離れることなく全部済むんだなあ、とかとかぼんやり思った次第で。
もう20年前の話なので、当時の先生や校長先生はおられないと思うのですが、みなさん今でもはっきり覚えています。
あのときの警備の兄ちゃんは、別の道ですが元気にやっております、吹田にはいろいろお世話になりました。