写真は夜の難波宮です。
難波宮開発が始まるそうで、20年前近くは大阪のこんないいところにこんだけ土地が余ってるなんてさすが難波宮、とか思ってたのですが、難波津になどの句を詠んでたりすると、ここはこのままでもいいんかなあなど勝手に実に勝手にいろいろ思うものです。
難波宮跡公園は今でも上六の、法円坂にしっかりと残ってまして、あと数年で形も変わっていくようでして、阪神高速東大阪線を挟んでNTTもいつのまにか京橋の東野田に機能が引っ越したらしく、万博に向けていろんなことが変わってきています。
難波津に咲くやこの花冬ごもり今をはるべと咲くやこの花
難波宮から、難波津の話になって、此花区の所以や此花=木花=梅の花ということで、和歌山梅林や大阪天満宮に菅原道真公と親近感がわくものなのです。
今は昔、この法円坂あたりは丘になってますが東大阪から大阪市の北区都島区あたりも一面海だったそうですが、「難波津に咲くやこの花冬ごもり今をはるべと咲くやこの花」が百人一首の序歌というのは実に素晴らしいことでして、さらにこの序歌を選んだのは日本の歌人・国文学者で、正三位、文学博士であられる佐佐木信綱先生で、その孫の佐佐木幸綱さんはロータリーでも歌壇先生をしているとかで。
難波らしいお名前、木花=このはな いい名前です。