時間も気合もかけて作成した卒業制作、その卒業制作をもって就職活動にすればいいのではという発想からやってみた卒業制作の卒制採用サイトですが、それなりの目的も達成したので終了の運びに。
自分の場合には卒業制作というか卒業論文だったので、また趣向が異なるのですが、自分の作品は実にデリケートということがわかりました。
それは自分なりに当時は一生懸命だったとしても、専門家やプロからすればたいしたことがなくて自分の最高の出来を知らん人事のおじさんにあれこれ言われるのは不本意という当たり前の感情です。
そして卒業制作を一生懸命やってきた人にとっては、卒業制作を一生懸命作って完成させたいのであって、その完成物をもって就職を有利に働かせたいという発想もあまりないのでは、というものです。逆に面談時によければ卒業制作をどのように完成させたのか話を聞きたい、という糸口から広がっていき、その努力過程や悩みや思考を知りたい、と思うのです。
書かなくてもいい卒論を気合で書いたこと、大学ゼミ山中先生のテーマにちなんで客観的帰属論に触れたかったこと、危険引受の中の「坂東三津五郎ふぐ事件」というとんちんかんなものを発見して、これは同意と言っていいような気もするよなと思ったことなど、採用面談時に聞かれたら全力で伝えたと思うのですが、人事担当が好むような気もしないですし採用決まるような気もしないので。
「日々全力で生きる、今の時間1日1日を後悔ないように尽くす」などの話には繋げれるのですが、果たして、ではあります。
採用側の理由、企業側の理由、いろんなものがありますが、ジャストタイミングでのフィーリングは難しいんです。
なので採用と言うのは奥が深いことと、言葉にしずらい状況や推測が多々あります。逆に面談すぐに「家庭の金銭事情で学校退学しました」から入ると「ほんまか?」と思うのも当然であって、子供には卒業くらいさせてやりたいのが親の当たり前、金銭事情如きで夢は潰さないのだが果たして?というのもあるんです。