プールって大人になっても楽しいものですけど、学校教育でプール授業がある理由というのを読んだことがあります。
ちなみに泉佐野は「うちはプール学校になかったからプール体育でなかったです」とかスタッフから聞いて、ほんまか?思ったのですがお金の問題とか諸事情で難しい問題もあるようなないような。
あと、田辺市でも隣の中学校にはプールがないので、か、改修工事なのか夏にひょっこりプール授業で生徒が来てた記憶も、まあいろいろで。
プールって歩くのも泳ぐのも全部が不自由なので、理不尽なんです。
沈むとおぼれて苦しいですしハードな環境、だからこそ楽しめるものがあったり普段と全く異なる環境だからこそ面白みがあったりします。これスポーツやってると結構あるのでが、トレーニングで3タッチまでとか2タッチまでとか制限をつけるとめちゃめちゃ難易度が上がりますけど柔軟に対応出来たり適応能力がある選手もいます、水泳も一緒でスポーツを通じて普段とは制約が多い中での適応能力を身につけていくというのはすごく的を得ている気がします。もちろん鍛錬になるのもそうですけど。
昔の尋常小学校などでは田辺市とか白浜とかに小学生が臨海学校で来て1キロとか2キロ泳いだそうですが、最の高に素晴らしいと思ってて、全員が泳ぎ切ればそれは達成感で連帯感が生まれます。
100キロ歩く習慣がある高校、なんかと一緒です。そういうのもあって、「本人の希望が叶わない仕事をすること」はその人を不幸せにするなんて全く思ってなくて、案外そこで適用することもあるので結果としてベストな選択になるというのは結構思います。
今になって学校教育や教育のもつ本来の狙いがわかってきて、その積み上げてきた先人たちの知恵と経験に敬意が生まれます。
スタッフには希望の仕事とか職種とか採用時以外は聞きません、それを言語化する意味はないと思ってます。
あとは本人の能力を見極めて最適な場所を用意するほうがずっと大事。愛想がいいとか接客できるとか全く不要、コツコツ努力できる子は内向的で内気で口下手というパターンも結構ありますので。
自分自身もそうでしたから。