パンダくろしお、天王寺で発見した日は1日いいことが勝手にあるような気がします。
くろしおはこの緊急事態宣言下なのでまあ乗車率が低く、がらんがらんで空いているからいいのですけどやっぱり全力赤字で空気を運んでいるんだろうとか思うとまあまあ悲しい気分には多少なります。移動はくろしおで田辺に戻ったりするのですけど、小学校や中学校のときなんかは各駅で天王寺出てきたり大阪のアメ村に買出しに来たりなど経験があったのですが、今は今で仕事なんで多少はタイムイズマネーを意識するようになりました。
自分なりには普通とは思いますが、これ、最初からくろしお指定席がデフォルトスタートしてしまうと結構しんどいのかな、と思います。簡単に成功すると結構失敗しがちなので、相当な苦労とか辛酸なめたほうが人間的にも丸く配慮できるのでいいのではないかと思う派ですけど、単純なラッキーパンチが当たりすぎると実力勘違いするので自分の戒めにも思います。
ところで、職業の貴賎の話ですがパンダくろしお、なくても別にいいといえばいいんです。生活に人生に必須なのかといえばそうではないものであって、世の中にはありとあらゆるものはそういった関連のものになるように思います。仕事柄そういった職業の方にも多くお会いするので、スポーツ選手やゲーム業界なんかも同じく、の部分はあります。前にちょこっとそういった話で「ゲームなんかずっとやってると目が悪くなる、姿勢も悪くなる、なくてもいい商売だからこそ、楽しく面白く家族や友達が笑顔になるゲームを作らないといけないんだ」のような話を聞き、虚業としての矜持を感じたことがあります。
職業貴賎はないんです、けど、お医者さんだったり命をかけて仕事に取り組み殉職した警察官、消防員、自衛官なんかより自分が職業で優れてるとかどうしても思えない、とも思います。
この仕事も命を落とすことはまあありません、だからこそ、ちょっとでも貢献や社会に役立つ何かを生まないと、とかを強く思ったりします。微力ながらの寄付とか、学生さんへの話とか、見学とか、ちょっとだけど貢献したいというのが、自分なりの矜持だったりします。
全従業員の物心両面の幸福追求、として社員を雇用し社会に満足いく業務を行うことは素晴らしいことです、なので経営自体が素晴らしいこと、と思います。
そして、さらに1歩踏み込んだときに、職業の矜持をちょっとは持ちながら仕事に取り組まないと、そんな気持ちです。6月1日から新しい期が始まりました、矜持をもってコツコツ進みます。