当時は富田町パークビルで仕事してました。結構ぐらぐら来て大丈夫かいなと思いましたけど、その後東北や関東では大変なことになっているとテレビで見て「経済人として何をしないといけないのか」と考えたのを覚えています。
震災当時は3期目終盤、4期目に入るくらいでしたが、社員の1人が在職中に自分の会社を作り顧客を流出させ、他の社員もそそのかし協力させていたので、そのあたりの人事面でのトラブルに加えて、顧客面との多くのトラブルになっていたので、震災の時期は顧客の40%を失い売上も30%減少し大変だった記憶があります。自分のことでいっぱいいっぱい、若気の至りです。
自分を置いておいてそこから。
石巻市、東松島市、陸前高田市、窓を開けたり車から出ることも禁止されていた浪江町、常磐線。まだまだ復興に向けて進んでいる最中ですが、自分にできることは経済を通じて貢献すること。