逃がした魚が大きくない安心感。
いろいろあって元々いた社員をSNSで見つけたのですが、前と変わってなくてなんか安心しました。
会社変わってもまあ元気そうにしてる生存確認とかでなく、ほどよい感じに仕事されていたのでほっとするという感覚です。
ちゃんと適職見つかったのでよかったというか、まあそれほど大成したわけではないんだろうな、と思う悪い感情の安心感です。
逆に大成してると「あれで大成できるの?!5年後一気に沈まない?」とかの感覚をもってるので、自分の認識のずれが起きないと安心するものなんです。
人の不幸を願うとかないけど不幸になってるのを見るともうちょっと頑張ってほしいなと感じる人間味は十分に持ってますし、ハッピーなったらいいのですが、退職社員を応援する感情は全くないので。
ちょっと前のコロナ禍でインバウンドもホテル宿泊民泊とか大津波状態でがさっとなったときなんかも、まあいろいろあるんでしょうけど取引先や元々の社員なんかも大丈夫かと思ったわけで。まあ何とかやってると、なんというか、安心感というか、逃がした魚が大きくない安心感はあるんです。
社員だけではなく、元々一緒にサラリーマンしてたときの同僚など見て、逆にとびぬけてしまうと、資金は大丈夫かとか仲間とは大丈夫かとかチームはどうかとか思ったり、他人資本が入るとどうするんやとか、売却でハッピーなるのはいいけど他の子たちはどうするんやとかいろいろ思ったりするわけです。人は人、自分は自分、人よりだいぶ遅く社会人になったりアウトロー経歴なので変に羨むことは全然ないけど、安心感はあったりするんです。
ただ、とんびが鷹にはなかなかならないように、自分も含めてですが、最初のスタートの環境を経験した以上、大きく飛びぬけることはそんなに多くないかなと。
起業した元社員でも、自宅本社にしてたり、1人とかで細々してるのは見ますが、うち規模よりも数倍大きな企業規模でやってるのは聞かないので(1人だけ違う子がいますが)、出藍の誉のような大きくとびぬけるのはないのだろうなと。これはこれであまり嬉しくない。