京阪の萱島駅には駅の中に「樹木」が生えてます、電車で通るたびに何で生えているんだろうと思ってましたが、初めて萱島駅で降りてようやくわかりました。
樹齢数百年のご神木で、ここには萱島神社がありました。駅の中にそのまま通っているのは本当に変わった駅だなという印象しかなかったのですけど、朝から参拝している方もいて地元に根付いた神社なんだと改めて思います。樹齢700年と書いてましたがこれは切るわけにはいきませんので。
こういう歴史や文化などは若いうちには興味あってもしっかり見る機会は多くなかったのですが、何で神社があってお寺があって祭りがあってなどは全て理由があって、20代の頃には工場の中に神社がある理由もわかってなかったので、こういう神木1つでも当然何でこの形になったのかは過去を推測すればいろんな想像がつきます。時代も時代であったのでしょうから。
成長するのに必要な「素直さ」というのが大事なのは、このご神木をみて京阪電車がご神木あたりを鉄道敷設のために買ったし鉄道を引くのは経済発展のため仕方ない、と当然ご神木なので地域密着している人々が神木切ることは反対するのもわかりますし、もっと言えば反対している人の義理の弟は京阪電車で働いていたり、などの複雑密接なこともあるんです。先人からそういった話を聞くと、歴史を紐解けることもそうですし、「若いみなさんにもこういったことを踏まえてまた次世代に何か活かして欲しい」という善意だけで話をしてくれることがよくあるんです。
何事も先人はあらまほしきことなり。そういった先人に寄り添えるためには「素直さ」がないといけないのだな、と先人になってきた今ようやく納得できます。