前に書いた記事ですが、やまもといちろうさんの話を引用しつつ、一方やると決めたら、とことんやり切ることができるのが経営者、まとめています。
経営なんて一寸先は闇なので、何が降って来るかわからないし、降ってきたところでかわすこともできないし、当たって傷ついて即死しないようにするには腕一本飛ばしておこうかな、くらいのリスク享受をすぐします。そうでないと気疲れでもたない、いい意味での腹のくくり方をするわけです。
盛和塾も今年で終わり、稲盛さんからも「社員の幸福を考え行動、そのためにフィロソフィがある」話ししてましたが、これ国家と国民で言えば国民の幸せ最大化が国家の役割であって普通の当たり前のこと。で、どんな国家がいいのか会社がいいのかでいえば「会社が潰れない」ことは最低限度と思うかもしれませんがすごく大事なこと、と考えてます。
会社の目的はどういったことが目的で存在するのか。世の中をあっと言わせるサービスを作る、新しい価値を提供する、顧客満足を追及する、会社を大きくする、いろんな目的があるかと思います。その中でもクレアネットの根本にある目的に、「会社が潰れない」ことと考えています。もっと夢を大きく持つことも大事ですが、根本的にはかなり保守的なこの考え方には以下のようなこういった過去があるからです。
昔働いていた会社のことですが、当時いた会社は入社時には90人程度でしたが1年6ヶ月程度で人数も260人に増えるような成長していく会社、東京と大阪の二本社制で大阪初から始まり東京へ進出したところでした。クリスマスには心斎橋のクラブを貸し切ってイベントを行ったり、正に勢いがある会社。新人もどんどんと入ってくるので、あっという間に自分が教育役になる立場。成長スピードが早くまさにベンチャー企業、スタートアップ企業でした。事業自体はwebに関するweb事業部と、大きな案件に関わるシステムソリューション部の2つ。最初はwebに関して営業活動をしていました。
若い会社にありがちなどんどん仕事を取ってくるような仕組みで、仕事もそうですが、あっという間に仕事を覚えてしまう環境で日々成長を続ける環境で、営業で経験を積み、ビジネスマンとして成長を重ね、営業からディレクターに異動し、制作ディレクターとして工数管理や進捗・品質管理を行いながら案件を20件くらい抱えて、その中で必死に案件をこなすことで成長しました。webやSEOにも自信がつき、職場や顧客、上司からも信頼を得て、さらに給料にもその成果が出る、水を得た魚のように仕事に没頭できた職場。職場では仕事の出来る人も多く、そういった人は今は起業して会社を作ってますが、中には成果も全く出ず辞めていく社員さんや先輩も多くいました。最初は教えてもらう立場だった先輩の話が、自分が成長してくると、いつの間にか会社の愚痴が多く、「そんなに愚痴をこぼす前にもっと必死に努力すればいいのに。」と感じたものでした。受かるも落ちるも自己責任で勉強してきたので、外部環境に
甘えや依存があればあるほど愚痴が増えるのも知っていたことと、成果を出す人はどんな環境でも成果を出すことに焦点を当てるので、そのような感覚と大きな違和感がありました。ベンチャー企業、スタートアップ企業、結局手に職の部分に依存するので、同じ業務をしていても付加価値が10倍も100倍も違うことになる以上、どこまでいってもいつまで立っても自らを研鑽する必要があるのに、と思っていても全ての人が必死に仕事をしているわけではなかったのです。
なにぶん、初めての会社だったので、何か貢献できないと存在価値なんてないと思いながら、微力でも会社に貢献を、と毎日考えて仕事に取り組んでいた矢先、営業でお世話になった営業事務の女性が退職すると聞きました。書類の書き方などまともに書けず、日々説教を受けていたものの、営業で受注になったら「あんたの成長が息子見ているみたいで嬉しいわ」と言ってくれる厳しさと優しさがあった方だったので、今までのことお礼を言いながら残念な気持ちで挨拶すると、最後の最後お別れの際にこう言いました。「この会社は社会保険払ってないから早めに辞めたほうがいいから」
社会保険の仕組みも内容もよく理解はできてなかったものの、会社として大きな責務を行ってないことだけはピンと来ました。といっても、「会社がどうであれ、今の自分にできることは信用してくれているお客さんや、仕事を取ってきた営業、夜遅くまで頑張るデザイナーやコーダーなどのスタッフのためにきちんと仕事を行うだけ」という気構え。人は人、自分は自分、自分にできることを最大限しっかり行うことこそが大事であって、会社のことを考えるよりも自分の任された職分を行うことが最も大事、と。社長になって経営になってようやくわかりますが、この女性とお会いできたのは本当によかったと思っています、事務の裏方の仕事、社員への配慮や気配り、厳しい部分は全て愛情の裏返し、お会いする機会ないのですが、本当にお礼を言いたいし新人早々にお会いして一緒に仕事に関れたのは大きな価値観形成に役立ちました。
その後、数ヶ月経ったところで入社から馬車馬のように働いてきて、誰よりも会社に貢献してきたのでそろそろ自分でもステップを考えないと、ということを考え始め、悩みに悩んだ末に上司に辞表を提出し、会社を辞める決断をしたのですが、悩むこともあったものの、ビジネスマンとして十分に成長をしたという自負もありましたし、誰よりも成果と数字にこだわり、生産性を高め貢献したので、今この会社を辞めても恥ずかしくない数字を営業でも制作でも作った自信があったので「辞めても問題ないはず」との決意。辞表を出した上司には 「そうか・・・」とした言われませんでした。やはり辞めたい様子がわかっていたのでしょう。引き止める事もなく、淡々としてました。
そして退職届を出し来月には退職をする、と決まったその数日後、上司から緊急朝礼の召集。ちょとと静まり返った朝礼で発表を聞くと、「社長が亡くなった」と。一瞬何を言ってるの?と理解できませんでしたし、前に元気に会社でみかけたのに・・。
会社には悲壮感が漂います。「うそでしょ?」という印象と、「今後どうなるの?」の2つです。社葬として全従業員が葬儀に参加しましたが、誰も重い口を開けません。今後どうなるのだろう。先の見えない中でただ、葬儀に参列していた中で明らかに北新地のお姉さん系の方の多さに圧倒でした。あのときの風景や幼い孫を抱いたままのお母様の表情、一生忘れられません。その後、数日経過したある日、給料の遅配が発生します。中には家のローンもある人がいたので、正に修羅場でした。そして、修羅場になると人間性が現れてきます、給料口座に振込みがなかったことを真っ先に聞こえるように話す先輩、憶測で物事を話す人、そしてその事実をまた聞いて伝えていく人。会社では亡くなる前から取り立て催促のファックスが届いたり、「社長いてはる?」と低い声の方から電話が入ったりすることもありました。亡くなった社長ですが、死因はわかっていません、自ら命を絶ったのでは、とスタッフ感で口々に言っていましたが、資金繰りがうまく行っていないことは明白で、上場を想定してベンチャーキャピタルからの投資もあったので、大変だったと噂を聞きました。もちろん定かではありません。噂話が好きなスタッフ、自分にできることだけに集中すれば顧客への意識、行動が最も大事、と行動していたので未だに知りません。
ただ、亡くなる数日前に、いつもは東京オフィスにいる社長が大阪に来て、お洒落な革ジャンを着てスタッフと談笑していたことを覚えています。社長自ら声をかけてくれるような身分でもなく、大学の先輩だったので少しの親近感があったものの、一言も話したことはありませんでした。退職が決まっていたものの、引継ぎをさっと行えないくらいに案件を抱えていたので、有給休暇返上でドキュメント作成や指示出し等行い、最後の最後まで仕事でした。「いつ辞めるの?」「いや、実はもう辞めてるんですよ実は」という冗談にもならない話をしたりしてました。会社が大変な事態になっていくことは目に見えてましたが、やはり残った仲間のためには何とかやりあげるところまではやらないと。辞めない選択肢もあったのですが、一度決めたことはやはり初志貫徹しないといけない。仕事を最後まで「立つ鳥後を濁さず」の気持ちで必死に仕事を行っていたのですが、引き継ぐほうのスタッフは危機感もあまりなく普通に淡々と仕事を行っていたり、噂話をしていたりしています。
当時の社長の年齢は31歳。大学在学中に事業を行いながら、10年以上経営などを行ってきた社長。
「何でみんな噂話ばかりに盛り上がって会社を立て直そうとしないんだろう。資金繰りが回らないのは従業員みんなの責任でもあるのに。売上作れない営業も、朝遅刻してやってきて居眠りしてそして定時に帰っていく上司も、昼休みも夜も必死に仕事する人もいれば、土日に会社に来て何となく仕事をしたつもりになって、代休を取って平日休む人なども何を考えているんだろう。今こそ生産性を高めないといけないと部長も言ってるのに。何でなんだろう」
会社を離れる人間が口に出すことは一切ないのですが、感情として不思議が付きまといます。この感情は、会社が大変なことになっても最後の最後まで解決することはありませんでした。その後、会社の土台が少しずつ崩壊していきます、会社は別の会社が支援する話になりましたが頓挫。
会社は結局別会社に名前を変更し、継続することになりましたが、債務の承継は行わなかったため、事業はあっても箱がない状態。従業員には給料の遅配、お客さんにはサイト作成の頓挫やサービスの停止、そして取引先には外注委託費用の未払いで数百万負担をかけたと聞きました。勢いのあった会社、社会人になって初めての研修でドラッカーを教えてくれた上司、制作技術を教えてくれた先輩や、営業のイロハを叩き込んでもらえた経験、みんなばらばらになりました。このとき、どんなにしんどくても会社は潰れてはいけない。心からそう思ったわけです。会社が潰れると全ての人が不幸せになる、事業は人を幸せにするためにあるものだ、その反対になってはいけない。会社の土台がなくなるといけない、社長は歯をくいしばって会社と従業員を守らないといけない、会社は潰すわけにはいかない。
会社が潰れることは何より不幸です、不幸を与える経営者にだけは絶対になってはいけない。このような、強烈な体験をしたからこそ、「会社を潰すと不幸になる」その気持ちだけは譲れない。これは会社を作ったときから今もまったく変わりません。会社を潰さないことが大事。根本的なことですが、最も大事なこと。潰れる会社にありがちなことは一切排除して、潰れない会社を目指す。その中で成長を作っていく。楽しい会社、面白い仕事、やりがいある仕事。仕事や会社としてはいろんなことがありますが、潰れない健全な財務体制を築き、会社を潰さないこと。
これは会社の原点です。
こんな原点なので世界にはばたくサービスを、という飛翔めいたことは思いつかず、地に足つけて目の前のことに必死専念で日々業務に取り組んでいますが、単純に自分の能力向上と月間400時間働き営業も提案もサポートも全部すれば仕事もお金も増えますので、この調子を繰り返していくだけで潰れない会社に近寄ることが可能でした。今現在はそのつもりで潰れない内部留保、まさかのときのための費用を意識して業務です。
単純に20人の会社なら1人月40万なら800万、12ヶ月でいえば人件費9600万、なので1億あれば1年間何かトラブルで仕事がなくなっても生きていける、そんな思考で内部留保を考えていますが、道半ばぜんぜん。
会社というのはダムのように貯蓄を行わないといけない、まずは財務のダム、まさかのときのために備えておく財務状況をよくして内部留保を高めること、もう1つは人材のダム、「会社を潰すと不幸になる」という強烈な体験をしないと潰すような行動には意識が向きませんが、自分の場合は勉強している期間が長かったので個人事業主のような発想でしか考えることができなくて、自分の分は自分で稼がないと誰かに負担をかけている、と入社1日目や2日目から感じてましたし、初日研修だけで会社が終わると「こんなんで給料もらってたら会社大変じゃないの?」と感じたものです。そんな感覚と経験と現在の状況に合わせた運用が必要かをどこまで考慮して対処できるか、人材のダムです。
組織変革はまず経営者が変わること、こんな思考はあまりなかったのですが、自分自身としては「会社が潰れない」ためには内部留保必要。
経営者がもっとも変化が大きいはずと思いますが、逆説的に言えばキーエンスの滝崎さんは20代後半までに結局2度の会社倒産を経験している、ので、2回頭を打たないと気付かないのも正しいと思います。
細かい頭は打つんですが、組織変革はまず経営者が変わること。最後はこれです。