『商売は菩薩の業、商売道の尊さは売り買い何(いず)れをも益し、世の不足をうずめ、御仏(みほとけ)の心にかなうもの』
伊藤忠兵衛さんの言葉です、伊藤忠さん前にガイアの夜明けで出てました、5大商社で現在利益も絶好調とのこと。本町の元本社はしらっとしてますが、ファミマ含めそういう関西に馴染みある会社さんが活躍すると嬉しいものですが、この「商売は菩薩の業」。
商売は菩薩の業、なんて考えるサッカー選手はほとんどいなさそうですが、ドイツやイタリアの選手など海外選手は結構頻繁にチームも変わったりしますが、日本だとチーム愛とか組織への想い等でそれほど動かない場合もあったりします、ガンバの宮本監督なんかやっぱりガンバに戻ってきたら英雄扱いだし、セレッソの柿谷選手もガンバに来るとか来ないとかいうのもやっぱりちょっとその辺はあかん部分もいろいろあるので。
伊藤忠さんは三方よしなので、いいものを販売し買い手が喜べばひいてはそこに租税が発生し雇用も生まれるので社会に取ってもいいことである、すなわち菩薩の業のようなご商売にはすばらしさがあるのだ、と言っているわけなので、ご商売に精を出すことは菩薩の業を行うのと同義なのである、ということです。福沢先生も「世の中で一番楽しく立派な事は一生涯を貫く仕事を持つと云う事です」と言ってますが、ご商売やお仕事、働くことは「菩薩の業」なんです。
この価値観、しっくりきますし腑に落ちるのですが、ヨーロッパのサッカー選手などあまりそんなことなさそうな、バカンスのために今サッカーするというような感覚なふうに感じます。だめ、というわけではないんですが、職場が汚い場合に自分の領域以外に掃除しないんだろうなと、そんな偏見を感じますし、「自分の職場なんだからちょっときれいにしておこう」などと思うのも、比較だけでいえませんが美徳といえば美徳だと。
働くことの価値観は大きく違います。採用時にここ間違えると辛い。
究極的には金のためになることは否定しませんが、金を追うだけの仕事はまあいい仕事にならんのだろうな、と。特にゴルゴ13のような、サッカー選手のように個の力が突出している仕事以外の、クレアネットのようにチームで何かを創り上げるような仕事の場合には、金だけを中心にしていくと「お互い様」の精神で自己犠牲が希薄になるので、時として「自分勝手のエゴ」に周囲に取られます。これはどうしようもないんだ、としみじみ感じて悩んでいるところ。サッカーだと身体張ってシュートブロックに行く選手は必須なんですが。
こういうのは経営的には、究極的には受け入れるしか方法はありません。