子供のころの勉強は、勉強がしたくてやっていたわけでもないけど、テストで0点取るのも嫌だし、頑張って結果が出たら嬉しいし、漢字テストなんかでうっかり間違ったりしたら何か悔しくてちゃんと覚えようと、しっかり復習したりしたような記憶のある小学生の頃でした。
最近この「何でやるのか、やらないのか」といったモチベーションの話をよく聞くのですが、小学校、中学校を思い出すとスーパーファミコンをいい結果出せば買ってもらえるというときには単純ですが恐ろしい集中力とエネルギーを費やすことができました、吉田君の家でやったシムシティが面白くて面白くてこれはやりたくてやりたくてしょうがなかったので、シムシティのおかげ。
また、高校受験などになると400人受験して落ちるのは5人とかそれくらいの田舎のゆるやかな環境だったので、高校受験のために行う勉強はあまり熱心ではなかったりしたわけなので、今仕事に専念しない人が何でしないのかは結構わかるんです。受験落ちるという恐怖がないか、欲しくて欲しくてたまらないスーパーファミコンのようなものがないか、どっちかじゃないのかと。
大人になるともう少し複雑化しますし経験もあるので顧客のため、スタッフのため、に頑張ることができるようになるんですが。
そういうことでいえば、事業家や経営者はばしっと自分で決めることが多く、決めた以上やる、が当たり前感覚になってます。ということで最近読んだマイネットの上原さんの話。
上原さんの話はいつも理路整然としていてすっと頭に入り腑に落ちる内容です。
齢40才になれば「不惑四十」なので迷ってる場合ではありません、人生も折り返し地点なのでこれからどうするか、考えれば「60年続く会社にする」そのためにどうするか考えるのが大事、と上原さん読んで感じます。サスティナブル(持続可能性)な企業で言えば、安きに流れず、志高く夢大きく、事業継続するために必要なものは経営者の器。関わるみんなを幸せにするにはどうするのか、この事業を通じてキャリアを積んで世の中に価値を与える人材に成長し、そして組織の成長にも寄与して欲しい、60年続くと私100歳、1世紀生きるにはどうするか、健康志向で適度な運動と食生活。
60年経ってもスマホは変わってるでしょうが、電話がなくなってるのかでいえばコミュニケーションがなくならない以上なくならない。人と人が関わる、人を元気にするサービスはいつまでも残る、もちろんITはそのコミュニケーションを簡単にするものなのでもっと便利に進化する。この市場でもっともっと成長を追い求め、60年続く企業に。
そんなことを考えるとやらない理由などないんです。
ついでに、学校の勉強やらんこともあるんでしょうが、勉強したほうが自分の選択肢も増えるしより自分の夢に近づく、また挫折してもリカバリーできるからとか言うんですが、1時間でも地学なり化学なり授業を聞くのならちゃんと聞いたほうが無駄にならない気もするし、学生の本分は勉強だし、とか思ってたので、雇用して給料もらう以上はその分以上を会社に貢献しないと、と何も思わなくても感じてたし普通なのはこれもまた性格かも。
逆にそのように感じない理由を今は実に興味あります。べったり関わるのは嫌だけど。