松茸が群生しているエリアは「シロ」というそうなのですが、独特の土地や湿気や栄養価などの環境の要因があるそうです。松茸群生論=マツタケがたくさん生える場所はそういう地域、ひいては優秀な人材が輩出された地域もそういった環境が存在している、という意義です。
幕末から明治にかけては江戸などの都会ではなく、薩摩長州土佐などの地方から偉大な方がどんどん輩出されています。
前に山口の萩に行きましたが、松下村塾をはじめ、明治の政財界で活躍した人の出身であって、なかなかにびっくりしました。そういえば安部首相も長門市出身、山口は総理大臣輩出が最多の県。
萩や薩摩などの地域なんですが、たぶん、最初からビジョンがあったわけではなくて、推測ではあるんですが、こういった素晴らしい方が出てきた理由には幕末に、日本や藩や将来をいろんなことを語っていくうちに聞いて話して言語化されて、自分で話して自己暗示にもなっていくんだと思います。鹿児島では斉彬さんと久光さんのお家騒動があったからこそ薩摩は今後どうなっていくのだと強い危機感があって対話が膨らんだはずかと思ったりもします。
(地元紀州はそんな話ぜんぜん聞きません、御三家でもあって)
このへんは歴史観点なので「みなもと太郎さんの風雲児たち」など読めば本当に深い事実がわかります。
ペリーがいきなりやってきたなど全然ない話も今になって気付きくことができます。
何となくなのですが、状況がうまれリアルな解決方法が生まれ、全員巻き込まないと危ないからこそビジョナリーになって回りの人材が育成されていくのではないのか、などなど。あと事業センス的なものや経営者視点的なものなども、磨けるように思います。事業センスや経営者視点の対話を重ねてずっと日々過ごせばうまくいく、リクルートだったりなんかは特にかな、などなど。環境要因に含まれるもの。
そうは言っても、人が育つ原因は、環境半分、本人の資質半分とは言われます。逆境よし、困難またよしなどブログなどで書いてますが、そんな精神が継続されるのかであったり、人の素質を引き出すのもまた上司や環境の役割だと思います。