土用丑の日といえばいつも平賀源内先生が出てくるのですが、なんでこの季節にうなぎを食べるのかというと、という話です。広告業では本当に有名な話です。
うなぎは冬の食べ物なんですが、夏場に売れないうなぎ屋の相談を受けた平賀源内先生が、「土用丑の日」とうなぎやの表に書いて表に出せ、と指示した話です。丑の日にはうのつく名前のものを食べるといいという話が相まって、うなぎは土用丑の日のこの夏に食べるとスタミナがつくと認識されるようになって、今に至っているという有名なストーリーなんです。
その結果、南森町の宇奈ととさんは先週くらいから賑わっていて昨日も大繁盛でしたし、お中元なんかでもうなぎは定番商品になっていたりします。広告に関わるものとしてこの平賀源内先生の「土用丑の日」というのは新しい市場を開拓し、顧客を創造した素晴らしい実例と認識しています。
(と、昔先輩に聞いたことがあります)
この土用丑の日、に近いくらい「すごいじゃないですか!」と最近感じた話があるのですが、「関関同立」というネーミングについてです。この関関なんですが、どっちが関大、関学か順序があるらしく、前が関大、後ろが関学だそうです。関学はくわんがくっていうので五十音順で決まってるのかな、と思ってたのですが実はもっと深い。
この関関同立を言い始めたのは実は夕陽丘予備校の校長先生だそうです。
夕陽丘予備校は天王寺にあるのですが、大阪の予備校として受験生を教育していても私立だと京都の立命や同志社、兵庫の関学に進んでしまうのでどうにかできないものか、という悩みから、ちょうど当時はそれほどいけてなかった関大を持ち出して「関関同立」というネーミングで上位4校のグルーピングを行ったそうです。そこからこのネーミングが広まり、関学受けるなら関大もうけよう、という認識が広まり、今の関大に至っているそうです、というのが昭和40年代から50年代にかけてのストーリー。
広告効果や宣伝効果、ネーミングの秀逸性やいつの時代もありますし、土用丑の日を知っていても関関同立は知らなかったので、すごく納得です。年配の方に聞くと関大はそれほど~って感じはたまにいただくので、関大卒業生としてはまあそんなものかと思いつつ、今は結構頑張ってるんじゃないかとか。
こういった誰かに話をしたくなるストーリー、業として関わるものとしてもっと知っておかないと、そう感じます。
いちおう関大は関関同立だと一番前!けど誰も先頭とか思ってないのが関大の良さ!ネタですネタ。
こちらにも詳細ありました。
「関関同立はいつ生まれたのか」