◇ 師匠の山中敬一先生が古稀記念
この前の話ですが、大学の刑法ゼミの先生であった山中敬一先生の古稀記念ということでゼミの仲間とお祝い宴に行ってきました。山中先生はもう70歳、うちの両親と同じと卒業式で話していたのでそういう年齢だったんだとしみじみ。わたくし卒業が今から17年前なので、当時は53歳くらい。
なんで刑法ゼミだったのかというと、山中先生がアカデミックでもありましたし厳しそうな雰囲気が自分にはあっていたのではというのを覚えています。当時司法試験委員というのもありましたが、自分はハードな環境におかれて必死についていこうするような環境のほうがいい、そんなことを思い出しました。
人は生まれる場所と死ぬ場所は選べない、と言われますが、古稀記念をするのかしないのか、する場所も自分で決めることはできないような気がします。自分じゃなく周りで自然発生しそうなことなはずなので、と思ったりすると師匠山中先生はもう関大も退職で、古稀記念で論文集発行されるような、そんな仕事でも成果を出し、わたくしのような不肖はほぼおらず、ゼミ生先輩後輩の方はまあ立派な方ばかり。
弁護士先生、判事、教授、司法書士先生、弁理士先生、いちおう行政書士先生になっていたり、会話の中で団藤重光先生の名前や我妻栄先生などの名前を聞いたのは久しぶりで久しぶりでしたし、東大の山口先生はいつのまにか最高裁判事になっていてこれもびっくり。
ゼミ卒業生の写真など見てあの当時このように先生の古稀をお祝いするなど思ってもいませんでしたし、今自分がこのような立場になっているとは全く思ってもいませんでした。今でも、先生の言葉で覚えているのは「生徒の目線に話を下げてもいいのですが、本当に学びたい人の欲求を満たせないのならそれは大学の授業でも学問でもよくない」、と、多数に迎合して芸時報入門でイラスト付きのような本で説明はしなかったのが今でも覚えています。
当時は18歳、19歳で難しく感じたことは今は全部納得できます。そういった考えを与えてくれたことに感謝です。
先生古稀記念おめでとうございます、そしてお疲れさまでした、そして今までありがとうございます。不肖ではあるものの学んだことをもって世の中に貢献したいと思います。