「甲子園最強打者伝説」、多数のご意見をいただきありがとうございます。私の願いは何よりもまず記事を読んでいただくことです。立浪さん片岡さんも今、清原さんの思い出を語ることは批判も覚悟の上だったと推察します。二人の想いに感謝です⇒ https://t.co/BDgAnCIlMF
— Number編集長 (@_numberboss) 2016年8月13日
いま、清原を表紙にする。「やらない理由」は山ほどある。「やり抜く理由」は、ひとつしかない。Number編集長は、自分を信じ、読者を信じている。ひさしぶりにかっこいい編集を見た。 pic.twitter.com/zEHIEY1KZY
— 古賀史健 (@fumiken) 2016年8月12日
愛するナンバーが清原特集を組んで編集長のコメントを読んだのでこれは買わねばと西日本書店で即買いしました。
清原と対戦した投手たちの中でも清原にホームランを打たれた投手にインタビューをしていて、改めて取材力に感動です。彼らみんな清原の対戦を覚えていて、そのことを誇りにされています。文中にもありますが「清原と対戦できたというのは投手にとって宝なんです。すごく楽しかった。頭の先からつま先まで震える体験というのは人生であの時だけです」
清原の時代のPL学園で覚えているのは東海大山形相手に29―7で圧勝した試合と、茨城の取手二高が優勝した84年の大会決勝ですが、この時の木内監督が常総学院監督になって甲子園常連校になったのを中学高校で知って何か納得したのも覚えています。思い出は何十年も経てば色あせて美化されて記憶もすり替わってしまうこともあるんですが、細かい描写や経験は今でも色濃く残っています。
清原と対戦した投手、という題でナンバーは今回企画を組んでいますが、清原が与えた影響や対戦した投手が受けた感動や思い出は、逮捕されたあと教育上の配慮から甲子園の清原メモリアルが撤収されたという話があっても変わるものではないのでしょう。スポーツはその試合の瞬間に数百時間や数千時間の努力とトレーニング、そして鍛錬が隠れています。食事もそう、メンタルもそう。そして野球はその一瞬の一球にかけるからこそ、甲子園は今でも感動を見るものに与えてくれるわけです。
清原が与えた影響、ツイートにも書いていますが実に惜しい。また、真っ当になって戻ってきてほしい。共に戦った仲間や対戦した投手から愛されるというのはなかなか普通の人にはありません。レスリングの吉田選手が負けた時にキングカズのコメントが出てましたが、「勝ってメディアに載る人はたくさんいますが負けることでメディアに載る人は本当に少ない。吉田選手はその選ばれた人なんです」という内容のもので、清原選手でいえば「ナンバーに選手で載る人は多いですが、引退後逮捕後に特集を組まれる選手なんて見たことない」しょっちゅうナンバー読んでるものとしてその偉大さがわかります。
あと動画など。
オリンピックも高校野球も終わりですが、次はパラリンピックが始まります。
五体満足に動かせるなら動かせよ、と言われているような気がします。多くの説明よりも1つの動画。ブラインドサッカー特集を前にやってましたが、目が見えなくてもサッカーはできますし、自由自在にボールを扱えるんです。五体満足に動く人は満足に全部動かさないといけないんです、才能があれば才能を、能力があれば能力を、デザインならデザインで、知恵を出すなら知恵で、文章書きなら文章で、使い切らないとあかん、そう言われているように感じます。