「自分ができない限り他人に任せるなんてできない教」という宗教がありますが、入信しないほうがいいです。なぜ組織が必要なのかの本質を見失ってしまうからです。「どうすれば他人に任せて仕事の質を上げられるか考える教」へのご参加をお待ちしておりますw
— 柳澤安慶(二丁目ではヤナティ) (@ankeiy) 2015, 4月 28
自分ができないことを必死に説明、述べていたスタッフを思い出します。
1、オペレーティング業務
2、スタッフに依頼を行ってしてもらう業務
3、パートナー会社などと行う業務
業務は大きく分けて3つあります。
スタッフ曰く、1、の自分で計算できて自分でやる業務のみを業務と考えていたのですが、これは「自分ができない限り他人に任せるなんてできない教」というらしいです。できる人に聞く、できる人を見つける、できる人が誰か教えてもらう、これも仕事の能力だなと感じます。自分でできるからといって、手紙を郵便使わないで持っていくことなど仕事でしないですし、電力も自家発電できるからといって必死に自転車こいで電気貯めるはずもない。電気も郵便も使わない理由がない。やるべきことが仕事、任せることも仕事。
時おりこれを間違って、できない人に聞いて、間違ったことを伝えて聞いて、間違って進むという光景を目の当たりにしますが、できないことも唖然としますがなぜその人に聞く?とそこも唖然とします。唖然の連続。
サラリーマンのときに、成績がよくない営業の先輩に少し営業のことを聞いたことがあったけど、話が長い・くどい、要旨を得にくい、話を切り上げてくれない、最終上司にぼくが長話してると言って怒られる、あとで「OOさんには聞かないほうがいいとは思うけど・・」と別の先輩に諭してもらったことを思い出します。それも仕事の失敗。
得た経験は、課題の解決できる聞くべき人に聞く、解決できない責任感ない人ほど話が長い、結果行動に至らない、要点を絞って言ってくれない自己満足の世界にいく、という経験。仕事の能力は至るところで発揮されます。