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逃げ上手の若君に出てくる、大塔のいわれになった護良親王

後醍醐天皇皇子の護良親王は文武に長けた方だったそうで、大塔宮・護良親王が鎌倉幕府から逃げてきたのが大塔の地です。護良親王はこの後足利尊氏に幽閉されて、北条時行の中先代の乱で時行が鎌倉を取り返した際に、淵辺義博に暗殺されたと言う史実があります。生まれたのが1308年、1335に暗殺でわずか27歳の若さでした。「逃げ上手の若君」は北条時行が主人公なのですが、護良親王も少しだけ出てきましてこの11巻です。

田辺市大塔あたり、大塔交通社さんがあるあたりでして「鮎川」ともあのあたり地名を呼んだりするのですが、昔は大塔村でしたけど市町村合併で田辺市大塔になっていますので、護良親王にはすごく親和性があります。奈良の五條にも「大塔」という地名があって、同じく護良親王を慕ってのネーミングということでして、それだけ愛される素晴らしい方だったようです。逃げ上手の若君では、暗殺されるときには刃を歯で受け止めてというエピソードが描かれていますが、文武に長けた勇猛でもありながら聡明な方だったようで、明治2年になったときに、明治天皇は東光寺跡に、護良親王の偉勲をを讃え鎌倉宮を創建しています。

逃げ上手の若君は面白いのでおすすめなのですが、歴史好きおじさんとしては、鎌倉詣りはしたことないので鶴岡八幡宮はもちろん、鎌倉宮もお参りしたいものです。あと諏訪大社も。

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自己紹介

趣味はマラソン、サッカー。よく走り、よく蹴り、よく学び、よく仕事し、よく経営する。

常に明るく前向きに、夢を希望を抱いた経営を。

勤勉は喜びを生み、信用を生み、そして富を生む。人間の大切な徳。徳である限りこれを積むには不断の努力がいる。

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