根本的に、人間関係というものの解釈が「どっちかが苦痛を感じつつそれに耐えて相手に合わせるもの」みたいな認識なんだろか…?? 例えば結婚生活で言うなら「両者が不愉快さを感じることなく快適に暮らす(そのために恫喝・見下し・相手の否定はせず、話し合いをする)」という選択肢はない感じ? https://t.co/Ip8doX6Fqk
— 三好 (@miyoshiiii) April 9, 2024
価値観相違、なのですが想定以上に気付けない価値観相違、という内容のものです。
この価値観相違は気持ちよく言語では言えますが、実際にその状況になると相当なストレスがかかるわけでして、この価値観相違などは会社内でも部署内でも家庭内でもありとあらゆるところでやっぱり起こります。まあ経営者になっていろんなことしてると、経営では「給料をもらう側と渡す側」ではこれは絶対にわからない境界がある、など話を聞くとそうだなあと思うことは多々あります。
この見えない境界ですが、今までに培ってしまった境界認識なので取り除いたり、境界線を変えるのはなかなかの難しさがあったりするものです、政治の世界は本当に複雑なのですがロシアの侵攻を是とする意見もあるわけなので自分如きが一概に境界の話で正論を述べるのはなかなか難しいと感じていたりします。ただし、会社などの組織があり目的合って組織が運営される場合にはその組織論理には従わないといけなくて、お互いに支えあって取り組むべきとか、納期を守れとか、チャレンジしろとかありますし、経営の土台でいえば「赤字は悪」というものもあります。
赤字になるのはようするに仕事してないわけで、自分の職種に日々邁進すれば自ずから道は拓けるので、経理なら入金チェックを滞りなく行うとか細かい現場の事項を改善すれば、よくならないわけがないという発想です。仕事なので人によって生産性も異なりますが、日々努力する、誰にも負けない努力を行う、寝食を忘れるくらい没頭する、などを1年でも継続すればすぐに周囲より秀でるというのが経験則だったりします。このようなものでもなく、プライドだけ肥大化した場合には周囲が悪い、部下が悪い、上司が悪い、会社が悪い、顧客が悪い、など外部要因に全ての帰責性を見出したりすることもありますし、特に自分より劣っていると思ってる人が指摘すると鬼の棍棒を振り回すように叩きのめしたい衝動的行動に出てしまうこともあります。
もちろんこちらが意図していなくても、です。
ぼんやりとやんわりと「違和感あるなあ」と感じますが、言われるまで何もしないし、言われても何もしない場合の改善方法は見出しずらかったりします。
特に40代50代になって部下時代を過ぎたら、安穏したりしますので「言われるまで何もしなくても生きていられる」と安住するんだろうなと、自省も込めて思ったりしています、自社の場合には営利目的団体という性質があるので改善も可能ですが、そうでない団体の場合にはやはり悶々とすることも多いもので、難しいものです。
上記ツイートは男女間での相違で触れていますが、この辺の土台は変えにくいのがまずあるのですけど。
会社の不満を述べてた友人が転職して、転職会社を称賛してたけど数年経つと不満できてまた転職してるのを繰り返しているのを見たときや、
小学校の先生になった友人が、小学校は夏休みに冬休み、春休みは基本仕事だけど形式上は登校日ほかは毎日学校に来なくてもよく、一般企業なんかよりも楽な部分恵まれてると思うのですけど、部活や行事など一所懸命やれば土日もつぶれたりあることをもって「サービス残業多すぎ!」と息巻いているのを見たとき、
点でなく数年の経過を経て思うのですけど、このへんは資質があまり変わらないような気がするなあと、受け入れながら困難さを感じます。