本宮・新宮・那智からなる熊野三山の別宮的存在、闘鶏神社。
社伝によると允恭天皇8年(419年)に創建。
白河天皇の時代(1073~1087)に熊野三所権現を勧請し、熊野参詣の折には鬪雞神社に参拝して心願成就を祈願したと言います。
また、鬪雞神社に祈願して三山参詣に替えたという伝承もあり、熊野三山(熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社)の別宮的存在として熊野信仰の一翼を担っていました。
社殿は熊野本宮大社が川の増水で流失する以前と同じ配置をしており、熊野信仰の歴史をいまに伝える貴重な場所です。
観光協会サイトより引用。
田辺市民が正月お参りするといえば、まずは闘鶏神社です。駐車場が満杯になるので臨時駐車場も増えますし、おみくじ引いたりお参りしたりお正月は人が多いのが闘鶏神社。
あとはお宮参りに七五三に、結婚式なんかもあったりなのと、田辺祭の時には闘鶏神社中心なので昔から普通にそこにある神社、という神社です。
ちなみに、今の今まで「熊野三山の別宮的存在、闘鶏神社」というのは知りませんでした、実はそうなんです。
サッカー好きの諸兄は知ってると思いますが、「導きの神鳥」として信仰される「八咫烏(やたがらす)」は、サッカーの日本代表のシンボルです。
日本代表はときどきこの熊野大社にお参り来てたりしてます、チームで来たり監督陣で来たりなどです。じつはここも田辺市なんです、おいでやす田辺。