大阪偕行社附属小学校の設立者、高島鞆之助先生ですが今は東京にある青山霊園で眠っているそうです。
大阪にいるとあまり知らないのですが、青山霊園では多くの有名人のお墓がありまして、大久保利通、犬養毅、池田勇人に乃木希典もそうです。
東京行ったときにはとバス乗りたいと思ってますが、青山霊園も立ち寄りたくなりました。
青山霊園は、1872年(明治5年)、美濃国郡上藩(現在の岐阜県郡山市)の藩主青山家の下屋敷跡地に明治政府によって造成されました。
当初は、神道のみの神葬祭の墓地でしたが、仏教徒やキリスト教徒の要望もあり、1874年(明治7年)に公共の墓地になりました。
その後、斎場などすべての建物が東京都へ寄付され、1926年(大正15年)には日本で初めての公営墓地となりました。
ということだそうで。
なんで青山霊園の話かというと、知り合いの経営者さんのお葬式がこの青山霊園の青山斎場であったことを思い出したからです。急な知らせでびっくりということもあるのですが、東京の青山霊園ということでテレビなどで多少は聞いたことのある青山霊園、何も調べず無知なまま参列に行ったわけです。青山斎場は大きいので芸能人なんかもよく利用するらしいのですが、確かに関係者の多い経営者さんはキャパは必須です。
今のような景気よいバブル時期ではなかったのでまあ大変なことも多かったと推測できるのですが、時代の寵児のようにメディアを賑わせた方でもあったので、まさかまさかのことでもあって。経営者=社長が死ぬ、というのは同じ立場の社長からすれば真綿で首を絞められるようなうっとした感触になります。
経営者さんなんていうのはよく「会社組織に馴染まないから飛び出した」と謙遜してるのかこんなこと言いますが、自分経営者していて思うのは誰よりも能力が高く、誰よりもハードワークもできて度胸もあって、誰よりも優しく周囲への配慮や業者への優しさもあって、ただただ女性への扱いだけがもう1つというような方なんかいますが、絶対に組織の中でも成功していただろうという方もいます。むしろそういう方のほうが本当に多いと思いますし、特に中小企業や零細企業なんぞトップのパワーでなんとかなってるものなので、そのトップはうちのような業者への扱いもそして仕事の仕方も含めて、この人はすごいなあという方がほとんどだったりするんです。
人間的な魅力や圧倒的なバイタリティ、性別問わず「あの人はすごいわ」と評価される人物、あと年中色黒だったり冬場だけ黒かったりと謎も多く、みたいな経営者が周囲には多々いるのですけど、そういった経営者さんが逝ってしまうと本当に本当に辛いのです。志半ば、道半ばに違いないのわかってますし、今逝ってしまったらついてきた社員どうするんやとか、家族の娘ちゃんどうすんのや、とか、あとは何で今逝ってもうたんや、というのもぐるぐる回るわけです。「自死かもしれない」、経営者同士何かしらSOSあったのかもしれませんがなかなか金策相談できるものでものなく、醜態さらすならいっそ自分の手で、とかなんやろうか、と思うと・・。
「自分、今こんなんですけど、26歳のときなんか吹田第三中学校で警備員のバイトして宿直してましたから!下の下から這い上がってますから!未来が絶望のニートでしたから!」
とか言って笑い取ればよかったんじゃないか、リアルな下剋上野郎アピールすればよかったんじゃないかとか、生前の反省が浮かぶのです。もうお会いすることも話をすることもできませんが、なんやかんやあるんですが潰れず夜逃げせず会社はもってますって、報告したいものです。