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マラソン・トレイル

六十而耳順(60歳にして耳従う・しじゅん)

六十而耳順(60歳にして耳従う・しじゅん)=
論語の為政第二、です。不惑40くらいは有名で知ってても、それ以降はあまり知られていません。
50にして天命を知る、60にして耳従う、70にして己の欲するところに従えども距を超えず、と。
不惑40を超えてもまだまだ、ですが、

50歳にして天が自分に使命(生きる意味)を与え、何をするべきか理解するようになった。60歳で人の言葉を素直に聞きすらすらと理解できるようになり、70歳に至っては、心の思うがままに行動しても、決して道理を外すことがなくなった。

小さいときからすれば60歳なんてもう、お爺ちゃんのお祖父ちゃんの印象だったのですが、現在は周囲にも60歳を迎える社長や事業の最前線を退く方も出てきましたので、なんかそういうことを少しだけ意識するようになりました。50歳で天命を知る、なのでそろそろ天命を知るような年頃ではあるのですが、社員が増え取引先が増え、責任が増え、立場が重くなればなるほど、他人にも自然に接することができるようになってきますし、自らの人生や責任を背負って生きるのはこれからも自分だけ、という責任によって人格が出来上がってきたような気もします。

若いころは、自分より下の位置とか同じ位置にいる人も仕方なくて、早く何とかして上に行きたい、そんな気持ちが渇望だと思ってるので、今でもあまり変わってませんし、自分に合うくらいだとたいしたことない、というのは当たり前のような気がします。足を止めることの怖さとか、怠惰になる危険性とか楽したら苦あり、苦あれば楽あり、昔の人はうまくいったものです。いろんな業務の中で改善がうまくうまれ合理化したら自分の可処分時間が増えるので、さらなる効率や別のチャレンジに時間を活用するというのが大事であって、楽ばかりしても何も得られないというものです。

とにかく楽したいというのは気持ち理解できますが、楽の先には楽ではなく苦が待ってたりはあります。自分を棚に上げていうのもとは思いますが、転職でも前職から期間が経っていたり、学生でも卒業から空白時間が長かったり、留年なんかしていたりするといい印象がないのは当然なのかもしれません。
どんなことも、どんな仕事も、上に立てば大変ですし大変さなんかは変わらないのであって、ブランクがあると身体も精神も鈍るのも当然のような気がします。

といういろいろ思うので、50歳なっても60歳なってもフルマラソン走りきる体力と健康、ポジティブなマインドは今後も継続していきたいと、感じています。
15年継続しても、まだまだ青二才のはなたれ小僧なので、働き盛り時間をもっともっと堪能して精進していきたいと思います。

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自己紹介

趣味はマラソン、サッカー。よく走り、よく蹴り、よく学び、よく仕事し、よく経営する。

常に明るく前向きに、夢を希望を抱いた経営を。

勤勉は喜びを生み、信用を生み、そして富を生む。人間の大切な徳。徳である限りこれを積むには不断の努力がいる。

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