大学の法学部に卒論がない理由ですが、私見ではあるのですが、たいしたもの書けないからとは思います。実にたいしたもの書けません。まずもって4年の学び舎での学び成果はあまりに少ないのと、まだ試験勉強や資格合格などの大きな経験価値があればいいですがその合格レベルでも多少の学説なり判例を紹介して終わり、程度だったりするからとも思うからです。
というわけで私も卒論というもは必須でない法学部でみんなは特段書かなかったのですけど、そうは言っても大学といえば卒論。卒論なくして大学なしくらいに思ってましたので、超張り切って卒論たるものを書き上げた経験があります。「危険引き受けと客観的帰属論」という違法性阻却事由に関する内容でして、改めて再読するのも恥ずかしいですが当時は当時なりに頑張りました。優しい教授には(たぶん)ちゃんと読んでいただいたと思いますが評価コメントは怖くて聞けてませんし、一生聞きません。
そんなもん書かずに勉強しろ、というのもあるのですが、今思えば自分なりの焦りとか4年間の大学生活で何も成し遂げていないとか、恩師への感謝や敬意や卒論なくして大学なしというような発想や、全部があったわけです。ついでにゼミは通常1つだけだったのですが別のゼミに聴講生させてもらったりとかもしていたりで、これは聴講仲間がいたので2人で参加してたのですけど、いい意味熱くて行動量が過剰で意味がわからないような変態さもあって、それでも「ゼミ参加しても難しいなあ」と日々思ったり反省したりで、なんでそんなことしてたのかというとそれが普通みたいな感覚だったりなんです。
大学4年間は学びの期間、というのは学生の本分は学問なので正解ですが、受け身の授業ばかりでなく自分で探したり悩んだり学ぼうとしたりの姿勢を身につけるのもこの学生の期間でしょうし、学生論文懸賞みたいなやつに「死刑肯定論と廃止論」とか書こうとしたりもしたりして、みたいなことも思い出すと、今でも「実力も能力も現時点高くないけど行動力の化け物」みたいな人の人物を解析できないように思います。いわゆる性格診断とかコンピテンシーとかでない、圧倒的な人間としてのエネルギーみたいなやつです。ちなみに一緒に聴講してたゼミ仲間は現在は資格もとって先生業してますが、相変わらずエネルギッシュ、こういうのは人間変わらないんだと思います。